異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

日本の部活動は年功序列の影の立役者である

公立の先生たちには気の毒だが、部活の顧問制度はこのままではなかなか失くならないと思う。

公立中学校 部活動の顧問制度は絶対に違法だ!! : 審判、どこ見てんだ!

先日のブログにも書いたが、終身雇用制度を失くそうとしていながら、その対となっているはずの年功序列制度については手を付けない動きに懐疑的な視点で見ている。これはどこかの誰それにとって、おそらく残しておいたほうが都合がいいから残しているのだ。

池田信夫 blog : 年功序列の起源

上記のブログ主の言うこと/書くことについて、ほとんどの場合筆者は反対意見を持つが、この年功序列の見方については一部のみ腑に落ちる部分がある。年功序列制度の主目的は、従業員の組織に対する忠誠心を維持するためにあるという部分である。年功者の言うことに疑問を持たせず聞くこと、従わせることにこそ、その真髄がある。そしてそれは若いうちから叩き込んでおいたほうが、年功者にとって都合が良いのは間違いない。

 

中学やその後の部活動において、先輩や顧問教師の言うことはほぼ絶対である。また、年を追うことで自分も年功の恩恵を被ることが可能となる。そしてその組織に長く居座ることで、恩恵を夢見ることができるのだ。

実際は終身雇用制度のほうが夢になっているのであるが、例え安時給でこき使われても長く居座る方に夢を持てるよう、年功序列によるマインドコントロールを強いているという見方もできなくないと思う。雇用者としては過労死ラインぎりぎりかそれ以上の長時間労働をさせても、なかなか辞めずにまだ働いてくれる「都合のいい労力」の出来上がりである。使えなくなれば、即捨てて替えを雇えばいいだけの話だ。「終身雇用などなくなった」とすればよいのだから。

残業代ゼロ法案も上記図案に重ね合わせて見てみると本来の目的が透けてくるのではないだろうか。残業代もさらにカットできれば、「健康を害しても長時間よく働き、やめることも少なく、支払う給料も最底辺」で済む、「グローバル労働市場」の強風にも耐えうる、究極の労働力が完成する。

その目的を遂行するためには、終身雇用はなくとも、年功序列を用いる教育方法はどうしても必要な制度なのではないだろうか。その文脈で考えた場合、一部のエスタブリッシュメント層にとってそのシステムを円滑に回すためには、日本における歪な「部活動」はなくてはならないものなのだと思う。

先生たちが不条理な「顧問」をさせられている現状は理解できる。だがそれを打破するにはもっと深い日本の教育システムにまで踏み込んだ議論を少しずつでもしていかないことには変化はないと思う今日このごろである。