異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

カルト規制について妄想してみる

国家規模でカルトに浸食されてしまった場合の対応処置は、残念ながらほとんど手立ては残ってないとみていい。

元首相銃撃事件後、本来であればカルトの法規制に向けてすぐさま手立てを打つ動きがあってもおかしくはないはずである。暴対法や共謀罪の時は動きがよかったのにもかかわらず、今のところそういう具体的な動きがあると聞いたことはない。この事実こそが、日本の国家規模でカルトの根が深く張っている証左にほかならないと思うが、カルトの支配が進むにつれて社会崩壊は加速をつけて進むことになるだろう。

カルトにとっては自分たちの資金源さえ確保できていれば国がどうなろうが知ったことではない。甘い汁が吸えなくなったのであれば、また団体名称を変え、霊感商法をはじめとした悪徳商法を別の場所で行うだけである。逆に言えば、活動できる場所と資金源を断てばカルトは消滅に向かう。現実にフランスやシンガポールではそれを行い、統一教会の活動の場をなくさせている。

日本でも同様のカルト規制があれば、今回のような事件を防げたとまでは言わないが、起きにくくなっていたはずだ。オーム真理教によるテロ行為があったにもかかわらず、カルト規制に踏み込めなかったのはなぜなのか。信教の自由との関連性を述べられる人もいるが、カルト規制は宗教活動とは無関係に行える

日本では大小含めた多くの宗教団体が選挙にかかわっている。現在の与党連立政権でも、政権の一翼を担う党のバックには宗教団体が票田として存在しているのは知られた事実だ。

カルト規制に向けた動きがあればそれらの宗教団体にとって都合の悪いルールができてしまうのを嫌わないはずはない。通常の布教活動を行っている分には問題ないかもしれないが、カルト認定されかねないギリギリのラインで活動している団体も少なからず存在するはずだ。そしてそれら団体の票田をあてにするセンセイ方は数多くおり、カルトとして認定されてしまっては、選挙時に票が獲得できなくなり困ってしまう。

つまり宗教団体も活動が狭まり、センセイ方の票田も縮小するというLose - Loseな関係ができ上がってしまう。そのような状況を作り上げてしまうカルト規制法案を提出するどころか議論の俎上にも上げたくないことは想像に難しくない。これまで被害が多く出ていたにもかかわらず、カルト規制法案が出てこなかった背景にはこのような関係性があるからだと思う。

カルト規制を望むのは筆者一人だけではないと思うが、このままだと具体的な規制として成立するのは難しい。

もしくはカルト規制を作成すると見せかけた、カルト除外認定事項を設けていくのではないか。実際にはカルト活動をしているにもかかわらず、政府としてカルトではないという認定を与えてしまうのである。

もしそうなった場合は、いよいよ日本社会の末期症状であり、カルトはもはや霊感商法など行う必要なく、税制支援をカルト団体に与えるような政策をとり出すようになるだろう。またありとあらゆる罪状もそのカルト団体には適用されない「ヒャッハー」国家ができあがっていく。そしてそれはもはや民主/法治国家ではなくなる。

Lose - Loseな関係では何も変わらないどころか、より悪い方向へ進む可能性がある。カルトに対し不利益を被る形で幕引きをさせる方法を考える必要があるが、すでに一定数いる一般信者の扱いをどのようにするのかや、政治に根深く食い込んでしまっている現状で癒着を剥離させるのはかなり難しい。カルト性の低い宗教団体と対立させる方向で誘導しても、数の論理に強い宗教団体が残ることとなり、将来的に禍根を残すことになるだろう。より「マシな」案を考えていくほかないが、骨抜きにされる可能性や都合のよい解釈で規制されるのは避けなければならない。

戦後から続くカルトとの関係についての清算を考えてきた人は数多くいただろうが、現在もカルトとの関係が国の首相レベルで続いてきたことを見ると前途は多難であることはわかる。