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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

残業代ゼロの先にあるもの

残業代を「永遠の零」にしょうとするホワイトカラー・エグゼンプション法案が、成長戦略の一貫として懲りもせずまたとりざたされている。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/kadaibetu/dai4/siryou5.pdf

以前にも当ブログにて、この問題を扱ったが、筆者は根本的にこの法案には反対である。また以下の記事やブログ内容に基本的に賛成する立場である。

東京新聞:残業代ゼロ案 アリの一穴が狙いでは:社説・コラム(TOKYO Web)

「残業代ゼロ」を考える~ブラック企業撲滅どころか、ブラック企業に栄養を与える世紀の愚策(佐々木亮) - 個人 - Yahoo!ニュース

漢(オトコ)のコンピュータ道: 一般の職務で残業代を0にしてはいけない理由。あるいは0にするための要件。

成果によって報酬を決めていく態度にはある意味、賛成できる。しかし問題は「何を」成果と定義するかであって、それらが経営層によって恣意的に決められてしまうリスクは上記にあるPDF「個人と企業の持続的成長のための働き方改革」には言及されていない。基本的にお金を「支払われている」立場の労働者は使用者に比べて弱い立場にあるため、どうとでも「労使合意」に持って行かれる可能性は極めて高い。

さらに「対象者は限定的」と強調しているが、限定的では成長戦略として体を成さない。一部の者に適用したところで「成長」としての効果などないからだ。財界からも一握りでは効果がないという言葉が出ているのも頷けてしまう。結局のところ将来的には、ほぼ「労働全域」に渡って適用しないと効果のでない案なのである。紆余曲折や賛否両論があったにせよ、消費税率が3%から8%に上げられ、そして今後も上げられていくのと同じように、対象範囲を拡大していかないとあまり意味はない。

 

さて、ここまでは引用した記事に言及されていることである。筆者は加えてもう一つ言及しておきたい。あくまで筆者の勘であるが、この案には仄暗いものを感じるのである。おそらく究極の目標は労働階級の固着化を狙っているような気がしてならない。

上記PDFは、終身雇用に代わる働き方としても考慮に入れて作成されたに違いない。だが、終身雇制度が失くなりつつある一方で、ほぼ対となって語られてもおかしくない、年功序列については根強く社会に残っていると感じないだろうか。終身雇制度が失くなっていくのであれば、年功序列制度についても減衰していくことが語られてもおかしくない。しかし、これらは失くなるように見えて、実際は強く残存していると筆者は思う。

中高校生、もしくは大学生頃の部活やサークル活動について思い出していただきたい。だいぶ前にこれらを卒業してしまった筆者ではあるが、先輩/後輩のヒエラルキーは今だ強く残っているのではないだろうか。日本的経営からは消えていく節はあっても、日本の教育システムの中には根深く年功序列制度は残っているのである。

本来は教育システムの中にある「年功序列」にまで踏み込まないと、真の意味での労働改革に繋げられないはずだ。年齢や経験時間数の長短による優/劣性を抱えたままでは、上層から末端までの人材流動化は望めない。

中学生から大学生に至る多感な時期に「年功序列」を叩きこまれた人間から、ほぼ無意識下にまで浸透している「年功序列」の影響を社会人になってから取り払うことはおそらく不可能である。つまり、年功序列のヒエラルキー意識はどこか組織内に残ることになる。

ヒエラルキーを残したまま、雇用が保証されないシステムが普及するとどうなるか。組織内で一部の「経験が長い者」や、世襲なども含む「経験を引継いだ者」が組織内である意味「特権化」され、雇用が流動化している者たちには成果による報酬と言えども、特権者たちには遠く及ばない体制になるのではないだろうか。それだけではなく、特権や富を享受できるものは固定化され、それ以外の者たちは常に働き口に一喜一憂し、今まで以上に特権者の顔色を伺いながら働くことになるのではないだろうか。

上記のPDFからはあえて日本の古き社会慣習の一部を考慮から取り除き、「成長策」を策謀したフシが見え隠れする、かなり偏狭な改革案と言わざるを得ない。階層の固定化は社会の持続性を延命させることもあるかと思う。が、同時に多くの機会の犠牲と閉鎖性を伴う、手放しには受け入れられない策だと思うこの今日頃である。