異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

ロボットが人間に近づくのか、人間がロボット化していくのか

以前、こんな記事を書いたことがある。

Amazon Prime Airに見る近未来 - 異国見聞私書録

で、以下を読んだ。

ロボット・ジャーナリストの登場で記者は用済みに | 瀧口範子 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

「質」が求められる場面においても、人は追いやられてはじめているのかも知れない。

圧縮新聞というサービスをご存知だろうか。ネット上にある記事の語句を切り貼りした、デタラメな文章を生成するサービスである。だが、意味が全く通じずとも、ある程度文章としてまとまっているのだから面白い。なんだかよくわからなくてもゲラゲラ笑い転げる生成記事もあったりするので、知らない人は気分転換に一度見ることをお勧めする。

このサービスはデタラメな文章生成だが、前後の文脈を考えての生成も近いうちできるのではないだろうか。さらにビッグデータの解析を用いれば、無数にある新聞記事の中の「文脈規則性」を見出しテンプレート化すれば、新聞記者はもう文章など書かなくともキーワードの入力だけで記事が出来上がってしまう世の中になるのかも知れない。いや、記者クラブにぶら下がっている現代日本のマスコミは、発表内容を書き写しているのに等しいので、職業そのものが無くなる日も遠くないと予測しよう。もう記者の独自性など出さなくてもよいのだから。

twitterぐらいの短い文章での速報ニュースなどでは、はじめのトリガー以外、もう人間が介在するような場所はなくなっている。引用した記事にもあるが、金融の世界では、特定の株主のためにパーソナライズした情報を流すことのほかに、世の中に出回るtwitterや速報ニュースを分析しての市場動向を予測し、トレードアルゴリズムの一部として組み込まれているものもあると聞く。良い悪いは別にして、かつて近未来を描いたアニメにもあった「資本主義のオートメーション」はそこまで来ているだと思う。

文章などのコンテンツで人間が対抗できるのは、その人間の意思を反映したものぐらいしか残らないにちがいない。その人間の経験や感情が複雑に入り組んだ形で生成された文章は(まだ)人間にしかできないものだからだ。コピペ論文が世間を騒がせているが、あれは考えようによっては自らの人間性を否定している行動とも取れなくもない。人と機械との共存から発現した行為なのか、人間性を遺棄した機械への同化行為なのか、近い将来それもあらわになる予感がする。