異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

自治体は自分の首を絞めている

 練馬区に限らず、こうした憲法に関連したイベント、特に「護憲」団体に対して自治体が後ろ向きな姿勢を取り始めているのが気になる。

自治体が護憲派なのか改憲派なのかはこの際どうでもいい。そもそも地方自治体であれ何であれ、行政機関であるからには憲法という大きな傘の中で、行政を少なからず行っているはずである。その憲法を守ることに対して後ろ向きな姿勢を取ること自体、自己矛盾を抱えていることに気づいているのだろうか。日本という国で自治体を営む以上、たとえ気に入らなくても体裁上は「憲法を守っている」という立場を示さなければ、それは国やその国の自治体としてものすごく都合の悪いものになるはずである。

 

 百歩譲って記事にあるような後援を断ったことを認めるとしよう。だが、それならば自分たちはどのように形で憲法に沿ったスタンスを取っているのかきちんと説明するべきではないだろうか。憲法に沿った行いや立場に違いがあるというのなら、それはどのような違いなのか、表明していく必要があるのではないだろうか。

 たとえ後援を申請している団体がエセな護憲団体だったとしても、紛いなりにも護憲を表明している以上、断るにはそれなりの憲法の下での考え/行いの違いを表明できなければ自治体としての体裁が保てず、その自己矛盾から瓦解していくしかない。「政治的中立性を損なう」という言葉もよく聞くが、それは何を持って中立で、何がそれを損なっているのか具体的に説明できなければ、その自治体のレゾンデートルはないに等しい。

 

 練馬区にあったかどうかは知らないが、ヘイトスピーチを行う輩を街頭で白昼堂々と行進させていた自治体は、実質上、彼らを「後押しする意」とならないだろうか。特定民族や人種に対し、罵詈雑言や憎しみを言葉の暴力によってぶつけていた輩が黙認されて、憲法を守ることを周知しようとする団体が冷や飯を食わされる様は第三者から見てもあまり気持ちのいいものではない。

 もちろんこの報道が一方に「偏った」事件のみを取り上げている可能性は否定できない。この事件の裏でヘイトスピーチに対して「断り」をしている自治体も多くあるだろう(と願いたい)。だがそれらを加味してなお、紛いなりにも自国で施行されている憲法に対して後ろ向きな姿勢を取る自治体は、自分たちがなぜ現存できているのか今一度自分の胸に手をあてて考えてもらいたい。ただ、真綿で自分の頸を絞めていることに気づける自治体は、今の日本でどれだけ残っていることだろうか。