異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

「政治にコミットしない」と述べた時点でコミットしていますから

 日本から帰国していろいろとすることがあり、久しぶりの更新になってしまった。この間にさまざまなことが起こっていたが、書きそびれてしまう日々であった。少し過去に戻るが、いくつか気になった記事やブログについて、これから書いておこうと思う。

 

ぼくが政治にコミットしない理由(岩崎夏海)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

 この著者の本を読んだことある。高校野球のマネージャーを主人公にしたマネジメントについての内容だったが、ミリオンセラーにもなった本のようであるから知っている人も多いだろう。筆者の感想としては小説にもハウツー本にもなりきれていない、中途半端な内容だったとしか記憶にないが、ヒマつぶしぐらいにはなった。

 戦後70周年ということもあり、この著者にも言いたいことがあったのだろう。ただこのような形で話を運ぶのはなんだか卑怯な気がしてならない。「政治にコミットしない」という宣言をしていること自体、ある一定の「コミットをしている」という矛盾をはらんでいるからである。そして、この人程度の知性を持ってすれば、それを十分認識している可能性が高い。つまりその矛盾を確信していながら、この文章を書いた可能性が高いのである。

 国家や政治にかかわることを避けながら、「たとえどんな世の中であろうと、自分自身がしっかりしていればしたたかに生きていける」と本気でこの人は考えているのだろうか。人が社会的な生活を営む以上、特に現代の日本であっては、どんなに嫌であろうと、少なからず国家と政治に関わらざるを得ない。関わりを捨てるというのは、拒否の姿勢をも捨てるということと同義であり、すなわち国家や政治の「いいなり」になることに甘んじていると同義ではないか。

 少なくともこの文章から見えてくるのは、この人自身は国家や政治の「いいなり」になることに甘んじているようである。そのことは別にどうでもよく、個人として勝手に「迎合して」いただければ結構である。だが、このような文章を「仮面の告白」という形で全世界に公表するというのはいかがなものだろうか。

 

 ハウツー本もどきを書いている人であるから、この人の本をハウツー本として捉えて読む人も少なくないはずである。この人の行動規範に倣う人も少なくないことも想像できる。そのような人たちに「私の個人的な国家・政治に対する姿勢は」などと説いた場合、どのような影響があるのか、この人に想像できないはずがない。「仮面の告白」などといった生易しいものではなく、一つの「生き方の参考」ぐらいに映った人がいてもおかしくはない。

 少なからず影響力のある人はこのような文章の書き方は、危険をはらむことを認識しているはずであるが、この人は確信犯的にこれを書いて公表したように思える。国家や政治にできるだけコミットしない生活が、あたかも良いことであるかのように、空気として醸し出そうとしているのではないか。

 筆者はこういうやり方は好きではない。そもそも本当に「コミットしない」のであれば、何もそのことについて書く必要ないし、言う必要もない。それをあえて書いて公表しているところにこの人の「ブラック」さを感じてしまうのである。