異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

ゆるやかに滅びゆく国

今回の参院選の結果でいままであった予感の輪郭がよりはっきりしてきた。日本という国が衰退しているのは言うまでもない常識だが、もっと言えば滅びに向けての道も見えてきたことだ。

見逃した人へ 参院選の結果まとめ - Yahoo!ニュース

選挙結果は多くの人が「現状維持」を望んだということに尽きるだろう。「現状維持」ではとても立ち行かない時代と情勢にあっても、それでもまだ過去の栄光にすがりたい人が多くいるということだろうか。老齢人口が大半を占める今の日本にあって、若かりし日のノスタルジーに浸りたい人は、過去をもう一度とばかりに「現状維持」で実現を望んでいる。「現状維持」では国民をナメた政治も、少子高齢化も、地球温暖化も、相対的に目減りする資本・所得も、増え続ける貧困も、攻撃的になる隣国からの脅威も、何一つ掬い上げることはできないのに。

変わることを選択できない「現状維持」の行き着く先は「滅び」だ。恐竜のような劇的な絶滅ではなく、ゆっくりとぬるま湯に浸かるように、真綿で首を絞めるように少しずつ進行していくだろう。戦争や流行病により滅びを加速させるような出来事はあるかもしれないが、それでも局地的に人口を短時間で絶滅させるほど激減させることは難しい。

ただ、滅ぶことは別に悪いことばかりではないと筆者は最近考えるようにしている。というより、未来の日本に住む人たちは国家が滅んだことにすら気づかないのではないだろうか。戦争などで劇的な変化であれば、滅んだという実感はあるかもしれないが、それも一時的なことだ。国家や文化の存在意義そのものがなくなれば、そもそもそこにあったことすら思い出さないだろう。そんなことは今までの人類の歴史の中で数多く経験してきたことであるし、これからもきっと星の数ほど多く起きることだろう。しかし人間の短い一生からしたら、今はもしかしたら一国の滅びの過程を目の当たりにしている大変珍しい時代に我々は存在しているのかもしれない。

伝統や民族の誇りを守ることは大切なのは理解できる。だが、柔軟に変化を取り入れることをやめた伝統や誇りに未来があるとは思えず、それであるなら素直に「滅び」を受け入れたほうが「次」への糧となるだろう。

日本がこれからすべきなのは、無駄に明るく実現性の薄い未来を描くことではなく、いままでの過去の行いを集め、記し、残していくことだ。どのようにして「現在」の状況に至ったかをこまめにアーカイブしていくほうが「次」に役立つはずだ。

「次」が何なのかはわからない。日本を意識しない子どもたちかもしれなし、他国からの侵略者かもしれない。場合によってはこの「記録」を無かったものにしたい人たちかもしれない。

あらゆる可能性を考えて滅びへの過程を「記録」として残せる方法を真剣に考えるべき段階に日本は来てしまっていると思いながらこの投稿をまた一つ残そうと思う。