異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

英語は習うな。まず意思疎通を習え。

これを読んだ時、昔米国で出会った日本の学生さんを思い出した。

子供たちよ、英語のまえに国語を勉強せよ。:PRESIDENT Online - プレジデント

たいへん優秀な人で、英語はもちろんのこと、言葉の端々から賢さが滲み出すような話ができる、とても将来性のある学生さんだった。

何の拍子か、学生さんのご両親の話題になった。学生さんがまだ子供の頃、親御さんは学生さんを英語学校に入れていたらしい。ここまではよくある話で、「この子の将来のために英会話を」というような話が展開されるのかと思っていた。しかし、英語学校に入れた動機は大きく違っていた。

「英語を学ぶ」ことに対して、その親御さんは重点を置いていなかったようである。多くの異国人と子どもが触れられる環境下に置きたかったがために、英語学校に入れていたそうだ。大切にしていたのはどのような人に対しても「オープンなマインドを持つこと」であって、英語が話せることは二の次だったという。そのおかげもあってか、その学生さんはしっかりオープンマインドが身についていたと思う。物怖じをせず、日本人、異国人問わず、いたって自然体で接する能力を身につけていた。

どのような英語学校であったのかはわからないし、そのような学校が日本にあるのかも知らない。だが、たいへん興味深い動機で子どもを学校に通わせていた親御さんであることは確かだと思う。英語は一つの「手段」に過ぎず、その向こうにある「本質」が何であるかをしっかり認識できている親御さんだったのだ。以来、筆者もその教育方針をできる得る限り、取り入れて子どもには接していこうと心がけている次第である。

 

閑話休題。引用したコラムに少し付記したい。

英語を話せる日本人の母数は多くなってきているのは事実だ。だが、英語を用いてどこまで異国人と「意思疎通を果たすことをめざすコミュニケーション」を実践しているかは甚だ怪しい。

  • 異国のカンファレンス会場などで日本人を見かけることは珍しくないが、講演者に質問を投げかけている日本人は見たことはない。
  • 二人組の東洋系女性旅行客は、ほとんどが日本人と見て間違いない。危険もあるので理解はできるが、一人の旅行者はなかなかお目にかかれない。
  • 呑み会にいくのも日本人同士が多い。

ちょっとした例を自戒を含めて列挙してみたが、異国人と積極的に「意思疎通を果たす」には相当のエネルギーを消耗すると思う。慣れの問題もあるが、それでも母国人とのやり取りのほうがはるかにやりやすいのは否めない。

この「慣れ」の部分をどこまで蓄積できるかが「意思疎通を果たす」上でとても重要になる。そして「慣れ」を蓄積するにはコミュニケーションに資するどのようなふるまいも認め合う「空気」が必要だ。多少珍妙に見えても「意思疎通ができればよい」との合意が形成された教育が成されれば、「英語を話す」ことにこだわる必要性はないと思う。

教育においては「意思疎通」が第一にあって、「英語を話す」は二の次である。そこの認識が日本の外国語教育に浸透してほしいと思う今日この頃である。