異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

Contradiction society

ここのところサボり気味になってしまったが、久しぶりにいくつか気になった記事について書いておきたい。

 豊かな国への移民流入は今にはじまったことではないが、筆者が米国に住んでいた頃も確かにアジア系人種は数多くいた。おそらく今でもその数は増え続けていることだと思う。一般的にアジア系は教育に熱心なご家庭が多く、その結果、高学歴な子どもも多くいたように記憶している。この記事にも書かれているように、勉学で努力することがマイノリティーにとって、唯一と言ってもいい成功への近道なのだ。
ちなみに英国ではインド系の方の頑張りがすごいと話を聞く。優良学校にはアジア、インド系の生徒がほとんどを占めているとも聞こえてくる。英国の階級社会の中で永住し、それなりの暮らしをしていくには、そうした選択肢以外ほとんどないのかもしれない。

 米国や英国での教育が事実上、一つの「産業」となってしまっている以上、本来、他国からの留学生は避けられない。優秀な人材を世界各地から集めるため、競争力を維持するためにも、本来留学生や移民を受け入れることは必須になる。一部ではあるかもしれないが、悲しいことにそれを否定する動きが多くなってきていることを上記記事は示している。

 そもそも現米国大統領自身が差別主義者である可能性はかなり高い。彼の数々の言動から見るに、そう判断した方がいろいろと得心がいく。多くの差別主義者が彼をサポートしている点も状況証拠の一つといえよう。彼の本質は差別主義者をベースとして、権力基盤強化のために「分断」を推進するという点にある。

 国のトップからしてこのような観念形態を背景に運営されるのだから、差別的な事件は多くなっても今後減ることはしばらくないだろう。優秀であろうとなかろうと移民の流入を止める流れは政策的になされるのであるから、相対的に国の競争力は少しずつ下降していく。この傾向に喜ぶ者たちは誰であろうか?

 

 もう一つ記事を取り上げておきたい。

 

十年近く前に中村氏の講演を聞いたことがあるが、その頃から日本の研究環境をボロカスに述べていた。ノーベル賞をとる前で、当時はまだ日本国籍だったと思う。
この記事は当時とほとんど変わっていないことを述べているのだが、現在どこまで日本の研究者たちと交わりがあるのかわからないが、まだ日本の研究姿勢に疑問を感じ続けているのだとしたら、日本の研究環境は「変わっていない」ことになる。少なくとも中村氏の視点からは。日本でイノベーションやらグローバルやら叫ばれるようになってからかなり経つが、何か変わったようには見えないのは確かだ。

 ただこの記事でもっと驚いたのは、中村氏の日本パスポートが取り上げられていたことだ。米国籍になっていたのはノーベル賞を取った際に見知っていたが、日本パスポートがなくなっていたのは初めて知った。

 世界的なイノベーションを起こせる人材であっても、米国籍に変わっていたら日本国籍を取り上げる。多重国籍は許されないのが日本の法。法治国家であれば当然の処置。こう思う人がその国の大半であれば、病巣は相当に深い。断言してもいいが、そう思う人が大半の国で、今後イノベーションは絶対に起らない。

 世界的にイノベーションを起こせる人材に対して、多重国籍を認める法改正を進める運動を起こせる国にイノベーションやってくる。いや、別に「世界的イノベーションを起こせる人材」でなくとも全く構わない。多重で国籍を持ちたい人には認めてもいいのではないか。そもそも多重国籍をなぜ認めていないのか、認めると何がまずいのか、利点はどのようなことがあるか、その議論をもう一度やり直してもいいのではないだろうか。何が進展や問題解決につながるものなのか見失ってないだろうか。

 

 少子化問題でもそうだが、表では綺麗事を並べておいて、その裏で動きを封じる事案が日本には多すぎる。矛盾も正視できなくなった国に明るい未来が来るとは思えない。