異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

軍事研究の因果応報

 看過できない事件が起きた。

「日本の首相、自ら進んで十字軍に」 イスラム国が声明:朝日新聞デジタル

 一刻も早く人質が解放されることを願ってやまないが、同時にさまざまな思いが去来した。今、日本は急速に「普通の国」となるべく邁進しているが、それは同時にこうした事件、もしくはこれ以上の事件が頻発する事態になることを意味するが、その覚悟できているのであろうか。

 金をせびられているうちは、裏の事情はどうあるにせよ、少なくとも表向きはまだ「金で解決」しようとする意図があるということである。憎しみの深さから言えば、問答無用で首を刎ねられた他国の人質と比較して浅いと言える。問答無用で殺された国の人たちは、犠牲者に罪はなくとも、その人の所属する国家に対して相当の憎悪を持たれていたという見方も可能だ。では、どうしてそこまで憎まれたのか。

 

東京大学における軍事研究の禁止について | お知らせ | 東京大学

 非常にわかりにくく、とらえどころのない文章で書かれているが、こうした文章が出てきた時は用心したほうがいい。この文章が何を意味するかは、いろいろな人の解釈を咀嚼した上で自分の考えを構築したほうがいいが、筆者としては以下のブログの方と考えは近い。

東京大学「軍事研究解禁」ガイドライン改訂で政治的圧力はあったのか - 日比嘉高研究室

 意図せずして研究が軍事転用されてしまうことは、科学を志す者たちには往々にしてあり得ることだと思う。軍事利用と平和利用の境目は曖昧であり、科学研究は「諸刃の剣」的な側面は否定できない。

 だが、軍事技術を研究するという目的で研究を表立ってはじめるということは、それ相応の覚悟が必要なことである。東京大学の「お知らせ」にそれは明確に書かれてはいないが、否定もされていない。つまり読む人の解釈次第では、「日本の最高学府は積極的に軍事技術の研究開発をはじめるのだな」という理解も可能になるということである。

 軍事技術研究というのは突き詰めれば、いかに効率的に人殺しが可能かという問いを発し、それの応えを求めていくことに収斂していく。イノベーションを起こすとか、クリエーティビティーを駆使するとか、どんなに耳障りのいい格好の良い言葉を羅列したところでその本質は変わることはない。そしてその本質を身を持ってよく知ってしまっているのがテロリストたちなのである。

 

 人類平和のために開発したはずの軍事技術は、テロリストたちの立場からは別物として見える。仲間たちがその軍事技術で傷つき、殺されていれば尚更である。憎しみは殺した人間にとどまらず、その軍事技術を開発した者、売った者、使用している者に及んでもおかしくない。また、テロリストだけではない。その軍事技術の巻き添えを食った者達も憎しみを覚え、殺した国の人間をはじめ、武器提供国にも必ずその憎しみの連鎖は及ぶことは想像に難しくない。

 その憎しみを「買う覚悟」が、東京大学の「お知らせ」をはじめ、以下の産経新聞などの軍事技術研究を推進しようとする記事からは全く見られないことに卑劣さを感じる。

【日本を良くし強くする 国民の憲法】(1)東大に巣くう軍事忌避+(1/5ページ) - MSN産経ニュース

 ここにあるのは軍事研究開発の結果、「国際貢献/平和」やら、「国民の安心と安全」といった耳障りのいい言葉の羅列だけである。まるで恣意的にバラ色の未来を提示したいかのように。悲惨さはどこまでも伏せ、金のなる木である軍事技術に目が眩んだ、まるで詐欺師の書いたような文章である。

 現実は甘くない。ひとたび、軍事技術の研究推進というパンドラの匣を開けてしまったのなら、今までテロを起こされてきた軍事先進国たちの例を見たら子どもでもわかるだろう。現に今、対立勢力に資金提供しただけでも、人質を取られて殺されそうなのである。

 

 なぜ今まで70年もの間、他国による大規模テロ攻撃を日本は受けてこなかったのか、そしてそれを担保していたものは何だったのか。「普通の国」を目指すことはそんなに高尚なことなのか。テロを受けられる体制になっているのか。本当に「この道しかない」のか。そもそもなぜテロは起きるのか。今が再考するときなのではないか。