異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

短時間労働への道

社会問題を解決するたったひとつの方法ではないと思うが、多くの部分で共感できる話だ。



このブログで何度も書いていることだが、日本人男性の労働時間は長すぎると筆者も思う。このように書いてはいるが、筆者が短時間労働を実践できているかというと甚だ疑わしい。英国で働く男性から見れば、まだまだ長時間労働をしていると映るだろう。ただし、筆者は職場にいる他の日本人男性と比べれば短いほうだと自負している。

 

雇用主側からすれば長時間労働を従業員に求めていないと言うが、これは全くもって建前でしかない。別の言い方では、「業務の効率化」をすれば残業時間の削減、ひいては長時間労働が少なくなっていくという論理を展開するが、根本的にそのようになることはまずない。なぜなら、そもそも企業というものは「成長し続ける」ことが求められており、業績を伸ばし続けることが至上課題だからだ。昨年比との業績が同じでは「負け」と見做されるのである。つまり、「業務の効率化」で浮いた時間は、さらなる業績向上のための時間に割り当てられ、従業員の帰宅時間を早めるために使われることはほとんどないと言っていい。結局のところこの論理に従えば、目の前にぶら下がる人参を求めてひたすら走る馬と同じく、従業員の長時間労働は減ることなどない。

では、なぜ日本人以外の現地スタッフは早く帰ることできるのか。

それは第一に労働時間の契約意識が高いからだと思う。労働を行うと契約された時間内に仕事を終わらせる意識は一般的に日本人より高い。まぁ、とはいえ仕事を終わらせずに帰ってしまう人も多くいるのも事実だが、それは多くの業務をその人に割り振ったマネージャーの責任となる。ちなみに有給休暇を使いきらない現地スタッフなど、筆者は聞いたことがない。有給休暇取得は当然の権利なので、使い切ることが当たり前なのだ。

第二に家庭など職場以外で待っている「仕事」があるからだ。学校へ子どもを迎えに行く、勉強を見る、家事を行う、家計管理をする、家族とともに過ごす、フットボールクラブで汗を流す、といった家庭や趣味に時間を費やすことを一日や一週間の予定としてルーチンの中に組み入れている。彼らにとって職場での仕事より大切な「仕事」と位置づけている人も多くいる。苦笑してしまうのが、奥さんから退社したのか逐一携帯で確認されている人もいて、なかなか大変そうなのである。

これらを元に見ると、ある意味、日本人は仕事に甘えているのである。週に何時間働いたと意識している人はどれほどいるだろうか。仕事という免罪符があれば、家庭の「仕事」を顧みなくてもよいと思う日本人は大多数である。家事や育児など自分の行うべき「仕事」ではないと、腹の奥で勝手に結論づけている男性は非常に多いのも事実だ。かく言う筆者も今でもそう思う部分は「ない」とは言えない。だが、極力少なくしていこうという想いと小さな試みはしているつもりではいる。

 

日本企業では「成果主義」を建前として謳いながら、まだまだ潜在的に長時間労働を求めているところは多い。長時間労働を企業への「忠義」の証とし、暗黙のうちに評価の対象軸として組み入れている企業も多いことだろう。そういう慣行が存在しているからこそ、「仕事に甘えて」しまう人は減ることはないし、そういう人が上に行くことで、同じように長時間労働をする従業員を求めるという悪循環が社会的に起きているのではないか。

常に「成長」することが求められ、こうした慣行が存在する限り、「業務の効率化」で長時間労働がなくなることは決してない。本来なら、労働規制の強化という形で望むべきなのだろうが、世の中の流れからして今は難しいだろう。小さくとも現在できることは、何が長時間労働を生んでいるのか具体的に検証し、少しずつそれを失くす実践を地道に試みていくことが手段の一つにはあると思う。それと同時に、「家庭や自分の予定」を立てておくことである。長時間労働を断る口実を作っておけば、退社もしやすい。

こうした地道な試みが、遠回りかもしれないが、「短時間労働」への一番の近道なのではないだろうか。「急がば回れ」なのである。