読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

富者の方舟

 下記に紹介されている本を読んだ。筆者の想像を絶するもので、一人で通勤や散歩がてらしばらく考えこんでしまった。

「女子の貧困」最大のタブー!セックスワークと知的障害の関係|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見

風俗嬢にもなれない「最貧困女子」問題の解決法とは?[橘玲の世界投資見聞録]|橘玲の世界投資見聞録 | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン

本に対する感想は筆者の別ブログでまたの機会に紹介したいが、今回は格差が広まっている現状について、筆者の妄想から触れてみようと思う。妄想であるからには裏付けや確証など全くないので狂人の戯言として捉えていただいて構わない。

 

 筆者の偏屈な思い込みメガネを通して見ると、現代日本社会は格差を自ら望んでいる節がある。生活保護を受ける社会的弱者に対し徹底した罵倒や、ホームレスに対する無慈悲な仕打ち、ブラック企業に対する優遇政策などを眺めていると、単なる偶然の重なりから格差が生じているとは思えない。

 妄想をもっとふくらませていこう。格差社会を作り出すことは、表に出ることのない何らかの目的があるのではないだろうか。通常思考の延長線上では思いつかない構想が裏で動いているのではないだろうか。

 一部の組織や者たちに徹底して富を集中させ、その一方で貧者からは乾いた雑巾を絞るように最後の一滴まで取る。富者個人の欲望を満たすには十分な富はすでに出揃ったかと思うが、それでもなおかつ絞ろうとするその貪欲な動機はどこから来るのであろうか。

 貧者は貧者で貧困という枠組みの中でさらに格差を再帰的に生産することに精を出す。「貧困」というレイヤーの中でのみ通用する価値観とさらなる階層を折り重ねていく。いわゆる「下には下がいる」という論理がそこではまことしやかにまかり通り、自分たち貧困層の「圏外」にある層に対しては興味も関心も示すことはない。仲間同士で慰め合うか、足を引っ張り合うかがせいぜいであり、自分たちの現状打破へのベクトルを志向することはまずほとんどない。大勢を俯瞰するという視点は持ちあわせること少なく、「自分たちの富はどこで上澄みをすくわれ、終着点はどこにあるのか」という関心事より、「あいつは俺よりも『低い』はずなのに多くもらっている」という嫉妬事に拘泥する。

 富者からすれば、この階層が根深くあればあるほどとても都合がいい。なぜならどんなに彼らの富の上澄みをすくっても気づかれることはなく、たとえ気づかれたとしても「ほら!あそこであいつがくすねてる!」と貧者の一人を指させばたちまち注目は富者から外れ、貧者同士の叩き合いが始まる。それを高台から酒でも飲みながら眺めていればいいのである。この構図が繰り返し行われるほど貧困階層は本能的に強固となり、貧者から富者に目を向けることはほとんどなくなる。

 この構図の真の利益者、考案者は自ずと分かりそうなものだが、強化された格差階層から逸脱した思考を持つことは容易ではないこともうかがい知ることができる。

 

 では富者はどこに向かおうとしているのか。富を貯めることそのものを目的としている者もいるだろうし、それをさらに拡大することで自己を満足させている者もいるだろう。または沈みゆく国からの脱出を企てている者も少なからずいるのではないか。

 巨額の債務や少子高齢化からも見られるように、今後「成長」していくことなどおそらく幻想に近い。今後は国を如何にカタストロフィーからソフトランディングさせることが課題となるだろうが、それを考えている人は皆無に近い。そもそもそのようなことをやった事例など過去にないのだから試行錯誤で進めるしかないのだが、そのリスクを取ってまでやろうとする人は少ない。

 「成長」というモデルが効かなくなったことで、恐怖している富者は多いのだと思う。逃げるにしてもその「方舟」は決して大きなものでない。できるだけ載せる人数を少なくするには、多くの人を格差という檻の中に入れ、地上に残ってもらったほうが都合がいい。地上に拘泥してもらうためにも「愛国心」や「郷土愛」なるものを高めてもらったほうがなおいい。そのためには自国を都合悪くする「敵」もある程度作り上げておかねばならない。そして速やかに逃げれるよう、政府にも手を貸してもらおう。彼らの一部を「方舟」に載せる条件として・・・。

 

 ・・・だが、わからない。そのような強欲の方舟の行き着く先はどこなのだろうか。「逃げる」というより多くの人を「見捨てた」方舟の辿り着く先は幸多き場所なのだろうか。筆者は無宗教であるが、そのような方舟はノアの時のようにことは運ばないと思う。