異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

「大きな嘘」にだまされてないか

 少し前のことだが、正社員の賃上げをするという話があった。そしてそれがうまく行ってなさそうだという話も聞こえてくる。筆者は経済において素人であるが、素人なりに考えてみようと思う。


24時間残念営業(じゃないってば) - 男の魂に火をつけろ!


ローソン年収減少 「アベノミクス賃上げ賛同企業」表彰はヤラセ? - ライブドアニュース

 

 そもそもアベノミスクの行おうとしていることは、おそらく庶民の生活を向上させることを目的としていない。経済指標(株価など)を向上させることが目的であり、それは必ずしも多くの庶民生活の安定や向上につながるとはかぎらない。

 トリクルダウンにより、富める者から貧困層に富が滴り落ちるような仕組みを練っていたのかも知れないが、その策も無理があることはおそらくはじめから気づいているはずだ。トリクルダウンがうまく行かないことは諸外国の経済政策からも窺い知ることはできるし、理論自体に無理があることは少し知恵が回る人ならうすうす気がついてるはずである。

 引用したブログや記事にあるようなことは特段珍しいことではなく、起こるべくして起こったことと言い換えることもできるかもしれない。見た目上、賃金が増えていても消費税や物価上昇などで総じて見れば「収入減」となっている世帯も少なくないと思う。

 ただし人は収入減となれば騒ぐが、収入増という「いい夢」を見ている時にはそれほどあーだこーだ騒ぐことはないので、そこのバイアスは注意しなければならない部分ではある。とはいえ、格差社会や若年層の低収入がこれだけ問題になっていることを鑑みると「いい夢」を見ている人はほんのひと握りであることは容易に想定できる。

 

 現代の企業というものは基本的に業績の向上について常に気にしている。昨年比や四半期毎の業績が向上しているか否かについて、ほぼ全神経を集中させると言っても過言ではないと思う。乱暴な物言いではあるが、短期的であるにせよ利益をもたらせてくれる政権であれば、そちらになびいていくことは想像に難しくない。

 アベノミクスの三本の矢のうち、金融緩和、財政政策は放たれているが、三本目の成長戦略はいまだ曖昧と言わざるを得ない。金融緩和、財政政策で企業の業績は数字上、伸びているように見えるが、これを継続できるかは三本目の矢にかかっているとよく言われる。だが三本目の矢について小出しに発表し、しかもあまり評判は良くないが、筆者の目には時間稼ぎをしているように映る。

 成長戦略の一環として打ち出した労働規制改革を行うというのも、労働組合が弱体化したところを狙い打ちにした、「弱いところから手を付ける」という策なのではないだろうか。岩盤規制などというが、労働規制がそんなに大げさな規制とは到底思えない。ブラック企業が横行する現代では、真逆の規制強化が必要だと筆者には思えてならない。規制改革を謳うなら電力業界の「ムラの掟」に関連する規制を切り崩したほうがはるかに経済活力のためになるのではないか。

 

 こうして見ていくと、短期間で財界のエスタブリッシュメントの力を借り、その影響力で世論操作を行いながら、他の目的を実現しようとしているのが明らかになってくる。アベノミクスはあくまでも手段であって目的ではない。いろいろなところでも言われているように、経済を焚き付けた上で支持向上を狙い、憲法を変更しようとするのが真の目的でもあるのだろう。だが、それが到達点なのだろうか。

 現行の憲法を変えた後の次の世界について語る人は少ない。戦前レジュームへの回帰なども一つの目指す世界なのだろうが、筆者にはそれもまだ認識の甘い世界に思える。今の政治界の世襲制や労働搾取に精を出すブラック財界などを見るにつけ、筆者は究極的には封建社会への回帰を目指しているように妄想してしまうのである。

 数百年前への社会退行を良しとする風潮が今後色濃くなって行く。生まれや血族がどこかで全てが決まり、もしくはそれに類似した差別化により、「身分」固定化された社会を目指しているのではないか。「身分」による差別を表立って行うのは慣習であり、「お上」が収奪するのは社会的権利であり、のたれ死にするのは自己責任という「社会常識」が根付くのを理想としているのではないか。

 歴史と真摯に向かい合う態度を失くしている多くの日本人を見るにつけ、都合のいい解釈でどうとでも過去を改ざんしていける。比較するべき過去が脆弱であるからには、現在のあり方など疑問も持たないだろう。「大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい」と言ったのはヒトラーだということを忘れてないか。

 普通に暮らしている裏側で多くの「騙し」が横行していることに気づかなくてはならないが、こう書いても空しさが漂ってしまうのが悲しい。