経済徴兵制への必然
集団的自衛権の問題が騒がれている。閣議決定までの道のりや、国民の意思が不在の中で「迅速」に行われたのは暴挙であることは言うまでもないが、近い将来問題となるのは、まさに以下のことだと思う。
米国で行われている経済徴兵制とは - Togetterまとめ
国が徴兵制を行うのではないかという危惧があちこちで見られるが、それよりもおそらく経済徴兵のほうが現実として身近に迫っている問題だ。軍の「兵隊」として扱うよりも、民間会社の「傭兵」や「社員」として扱った戦争のほうが、一人あたりの単価として安上がりに済ませることができるだろう。ましてや借金まみれであれば、いくらでも買い叩くことは可能になる。国としては面倒な特殊手続きも不要。立場的に半民半兵としたグレーゾーンにつかせれば、国際的な条約や国からの補償をかいくぐらせることが可能となる。まさに人を「モノ」として扱い、危険地域での作業に従事させる体のいいコマの出来上がりである。
一般的に軍需関連では巨額なお金が動く。兵器そのものの売買もそうだが、それだけでなく、それを運ぶ人やメンテナンスを行う人など、兵器の周辺でさまざまな事柄が入用となる。実際の戦闘に関わらなくとも、危険地域でのロジスティクスは必須である。そうしたところでのお金の動きも戦争ビジネスとしてはとても魅力的に映るに違いない。
筆者の勘ぐりだが、ブラック企業をのさばらせていることや、女性差別を残したままでの「女性活用」も、こうした背景から来ているのではないだろうか。年功序列制度を残したままでの終身雇用廃止に向けた動きも、支配と従属階層を明確に意識付けしたままでの「人材流動化」と見られなくもない。
支配階層からの命令は絶対で、どんなブラック業務であっても、どこでもこなす「グローバルな人材」を育成していく。男女や年齢の区別なくブラックな環境で働いてもらえるよう「岩盤規制」を穿ち、幅広く人を「モノ」化できるよう布石を打つ。不平不満を「上」に向けられないよう、従属階層内での差別意識を互いに持つことは、積極的に止められることはない。そして狭いパイをめぐり、互いを競わせることで落伍者には実質上の「徴兵」が待ち受ける。パイにありつけた者も、その程度のリソースでは決して「上」への仲間入りをすることはない、ゼロサムゲームを踊らされるのだ。
やすい労力で戦争ビジネスができるのであれば、戦争ビジネスに関わる一部の者にとってこんなにおいしいことはない。そして彼らにとって平和は無駄に金のかかる「コスト」にしか映らないのだ。消耗品(モノ)のように、使ったらいなくなってくれた方が都合がよいと、どこか腹の奥で考えているはずである。
強者生存の世の中、あなたにとってそれは過ごしやすい世界ですか?