異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

本を読まないと人は●●になります

以前、新聞のコラムか何かに作家の恩田陸さんが読者の質問に答えていた。

Q: 子どもに本を読ませるにはどうしたらよいでしょうか?
A: それには親のあなたが先ず本を読むことです。

親が本を読めば、子どもはその背中を見て育つ。親が読むことから始めないと子どもも読む習慣はつきにくい。親もしていないことがどうして子どもに伝わるのか。もちろん例外の子どももいるだろうが、とても印象に残った受け答えであった。

 

本を読まない女はほぼ100%地雷 - クソログ

これは別に女性に限らない。なぜ本を読むべきなのか。

  • 他人の想像力に触れ、自分の思考力も広がり、深まるからである。自分と異なる存在が世の中にいるということを、まとまった形で表現してくれる媒体としてこれほど優れたものはない。確かに映画や観劇、絵画を観たり、音楽を聴く、人と直接会って話すなどの方法も思考や想像力に刺激を与えてくれるが、内容再確認のお手軽さや、話の展開を筋立てて頭の中を流れて行く観点では、本に大きく敵わない。
    漫画はどうかという議論もよく行われる。筆者は絵が描かれている分、相対的に文字量が減るので、やはり本には及ばないと考える。筆者の経験からの出した仮説だが、一般的に文字数を多く頭に入れた方が思考力としての効果は上がるのではないかと思っている。
  • 人と話をしていると、会話の内容からその人が本を読む人なのか、そうでないのか会って初期の段階からある程度わかる。人の話に対する好奇心の度合い、興味のない話題であっても自分の興味のあることと違和感なくかぶせて意見が言える、など話す内容の豊富さが本を読んでいない人のそれと大きく異なる。また、話題の引き出しが多くなる分、他人との共通の趣味、話題も割り出し易い。

ほんの数例を上げてみたが、本を読むことはほとんどの場面でプラスとして働くと筆者は信じて疑わない。が、少々困ることはある。

表層だけをなでる話で終始する会話に面白味を感じなくなるのだ。ワイドショーなどで語れるゴシップネタに対しての興味は怒濤のごとく薄れて行く。深く調べればそれなりに面白いのかもしれないが、本を読み込んで行けばそういう行為は悪趣味と考えるようになるし、そのような行為にそもそも意味を見いだせなくなる。必然、ゴシップネタ中心の会話しかしない人たちを遠ざけるようになる。引用したブログにもある通り、己の世界を中心に愛を叫ぶ人たちから「ひたすら逃げる」ことになる。

逃げ切れるのであればまだいい。そうした己の世界しか見ない人たちは世の中に増加する一方だと筆者は感じている。表現は悪いが、まるでゾンビのごとく増えている。自分もゾンビの仲間になれば楽になれるのかもしれない。だが、思考停止に限りなく近い人生にどういう意味があるのかまるで見いだせない。

だが、全員がゾンビなわけではない。数は少なくなってしまっているが、本のエッセンスを取り込んだ人たちに一人でも多く出会えることを願い、探し続けるしかないのである。