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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

ゴミの先送り

politics

福島だけでなく他の原子力発電所の使用済み核燃料はどうなっているのだろうか。とても気がかりだ。

福島第1原発1号機 燃料震災前破損70体 全体の4分の1
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/11/20131116t63022.htm

 こうした記事を読むたびに、やはり原子力発電所というのは未だ人間の手に余る存在なのだということを再認識してしまう。「トイレのないマンション」ということだけではない。貯めていた「糞尿」もまともに管理できないシロモノなのだ。

最終処分場できちんと管理すれば問題はないとの見方もあるだろう。今までが杜撰なだけであって、最終処分場さえ目処がつけば大丈夫だと。・・・本当にそうだろうか?

我々は「ゴミ」となったモノは基本的に「粗末」に扱ってはないだろうか?空き缶やビニール、タバコの吸殻・・・。ポイ捨ては良くないものと認識していながら「地球は巨大なゴミ箱」とばかりに捨てる人がいるのはなぜだろうか?「ゴミ」だからぞんざいに扱って当然と、そうした環境下の元で育ってきているからだろうか?
最近でこそゴミを見直そうとする機運は見受けられるが、一昔前までは「エコ」や「グリーン」などと言われることはあまりなかった。企業も「環境」を意識においた経営などして来なかったのはこれまでの公害事件を見れば明らかだ。一朝一夕にゴミに対する認識が変わるとは思えない。

通常のゴミであれば燃やせばなんとかなった。何とかならないものもあるだろうが、放射性物質以上に始末に負えないものは少ないだろう。例え最終処分の技術は確立していても放射性廃棄物は半永久的に消えることはない。この高い危険性が残るようなものを長期的に「管理」していくのに、後ろ向きな姿勢になるのも無理はないと思う。できれば見たくない、蓋をしたいと考える人が今後も少なからず出てくるだろう。皆が高い志で「管理」など出来るはずがないのだから。

 こうした一面だけみても原子力発電所のリスクは高い。他でもいくつものリスク要因があることは語るまでもないだろう。車や飛行機などとは質的・量的にも異なるリスクを多く抱えている。これを目先の「経済性」を理由に運用していくことに大きな疑問を考えずにはいられない、今日このごろ、そして明日である。