異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

核は時代に必要な産物か

昨日に引き続き、原子力関連で気になったこと。

「再稼働よくて新設だめ 成り立たず」

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131116/k10013109731000.html

自民党の石破幹事長が述べたらしいが、相当に脳神経を疑う発言である。通常の神経なら、原子力に頼らないエネルギー源の確保に研究開発を傾けていくと述べるのが、真当な国のあるべき姿だろう。なぜこのような発言が出るのか。おそらく、彼の頭の中には「安全保障」と結びつけて原子力を保存したい意図が伺えうる。

以前、彼の発言として「核兵器を保持せずとも、すぐに製造できる技術は必要」という趣旨の記事が記載されたことを覚えている。彼個人の意思としては、核兵器の保持こそが国土保全に必要との強い思惑があると思われる。しかしながら、核兵器を直接持てない日本にあって、「核の抑止力に近似した力」を持つには「いつでも製造できる」技術が彼の中で必要だったのではないか。それには原子炉からプルトニウムを製造し、いつでも抽出できる状態を保つのが現在における彼の思う「日本の望ましい状態」だと推察する。

この文脈で考えた場合、彼の今回の発言はある意味一貫している。将来的核兵器保有国としての布石を打っておきたいのだろう。しかし、これが本当に日本の望ましい姿であるかというと甚だ疑問である。

経済大国と軍備増強は切っても切り離せない関係だと今までの歴史は述べていることは認めたい。しかしだからといって、これを単純に踏襲していく手法ではあまりにも進歩がない、短絡的な考え方とも言えると思う。人類の文明が始まってから今に至るまでこの方法が取られてきたからといって、またそれに疑問なしに倣うのは頭が悪過ぎはしないだろうか。単純で効率的な方法かも知れないが、深慮に欠ける。

21世紀は情報社会と言っても異論を言う人は少ないと思う。この「情報」の活用方法に今までとは違った世界戦略を描けるヒントがあるのではないか。良し悪しは別にして、米国のNSAなどは巨大な盗聴網を引くことによってその優位性を担保している。情報をうまく自国へ収斂させることにより、NSAのような非合法な手法を取らずとも、優位的に活用できる方法があるのではないだろうか。

莫大な費用の伴う核開発を推進するよりも、平和裏にかつ安価で安全保障を確保できることはあるのではないか。もっと他にできることがあるのではないかと、どこまで考えられているのか。上記の推察が正しいのであれば、石破自民党幹事長のやり方は時代にそぐわず、それどころか時代に逆行、および思考停止した危険なやり方に思えてならない今日このごろである。