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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

種々のニュースから

thinking

 ここのところブログの更新ができなかったが、その間にさまざまなニュースが流れた。短めだがそれぞれにコメントを記載しておく。

 海外経験は漏えいリスク 秘密保護法で内調 - 47NEWS(よんななニュース)

 時代はグローバルだと言いながら、一方でこういうことを画策する。

 その昔、南米などに多くの日本人が政府から夢を囁かれ渡っていったという。だが渡った後の苦労は凄まじく、多くの人が希望叶わず亡くなったと聞く。これは当時、事実上の棄民政策で、口減らし目的だったのか、なんらかの利益誘導があったのか。いずれにせよ現代であっても、一度日本の国外(観光旅行は除く)に出た者に対し扱いが冷たく感じることは少なくない。かつての移民たちほどひどい扱いを受けないにせよ、少なくとも違和感ある視線を周囲から感じることはある。

 日本に生まれ、日本で暮らさなければ「日本人」と言えないのか。以前、「日本人とは血統である」というtwitter上のつぶやきを見たことがある。おまえはペディグリーチャムでも食ってろとしか感想は浮かばないが、こうした「漏洩リスク」に対する考え方もそれに似たり寄ったりだ。国家の縛りが薄ければ、疑いの眼差しを受けるというなんとも偏狭な考え方である。このような考え方を持つからこそ、情報漏えいリスクが増大することについては考えが及ばないのだろうか。

 日本人に限らず国外で暮らす人たちの話を聞くと、祖国に対する想いは逆に強くなる人のほうが多いように筆者は思う。これはそのような人たちの想いに対しての裏切り行為でもある。立派な大人が、しかも日本の中枢にいる人間がこの程度の考えなのかと思うと残念でならない。

 

デマと闘う選挙運動の異常さ|鈴木邦男の愛国問答-第165回 | マガジン9

 最近、既存というか昔からの右翼の方々が時々まともに見えてしまう。目の錯覚なのか、歳で味覚が変わったのか。彼らとはずっと縁遠い存在かと思っていたが、自分が近づいているのか、彼らが変質したのか。

 それだけ今の日本の社会が変質したのだともいえよう。「日本は全然変わらない」というセリフをよく耳にするがとんでもない、ここ十年そこらで大きく人々の考えは変わったというか、稚拙・短絡化したのである。ろくな検証もせず、インターネット上のテキトーで扇情的な情報に踊らされてしまうから、こうしたデマが成り立つ。

 右翼の方々は国を思う気持ちが強い分、大衆の扇情的なデマゴギーから少くなくとも自分たちにとってきちんと使える情報だけはフィルタリングができていたのかもしれない。莫大なデマをフィルタリングしていき、情報から世相の判断を進めれば、本来つながりの薄かった党の主張が自分たちと重なる部分があったのかもしれない。世間と政権がここまで短絡的に急進化してしまえば、それに逆行しようとする勢力は表裏問わず、必ず登場してくる。選挙後の動きがきな臭くなることを危惧すべきだろう。

 

東京新聞:ヘイトスピーチ賠償確定 在特会、街宣も禁止:社会(TOKYO Web)

 ヘイトスピーチが問題であることが裁判で確定したことにはちょっと複雑な気持ちである。もちろんヘイトスピーチが低レベルでどうしようもない愚行であることは疑いの余地もない。ただ、こうした判断を最高裁が出さなければいけないほど社会が荒廃していることの裏返しでもある。そもそも社会がまともに機能しているならば、ヘイトスピーチなど大々的に行われない。バカをさらけ出して世間に叫ぶようなことは本来恥ずかしい行為だからである。社会の自浄作用が働き、恥さらしは自粛の方向に力学が働く。それが機能しなかったから裁判に持ち込むことになったのだと推察する。

 これから先、国が「ダメ!」と一々言わなければならない現象がおそらく各地で起きてくる。それは共同体として暮らすという意識に欠けた礼儀知らずの日本人が増加していくということだ。国に何が「ダメ」なのか決めてもらうよう短絡的に丸投げされていくことも想像に難しくない。そうなれば為政者にとってやりたい放題の「ボーナスステージ」である。もっともすでにそうなっている可能性は否定できない。