異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

D.S.A. (Divided States of America)

 久しぶりの更新になってしまった。いろいろとすることがあり更新停止時期が続いたが、今回の「事件」について思うことを書き留めておきたい。以前にこんな記事を書いたことを思い出したからだ。

そして当たって欲しくない予想が的中してしまった。筆者は昔から嫌な予感だけはよく当たるので、少しめげている。今後世界がどうなるか本当にわからなくなってしまったが、一つ言えるのは、本来権力を与えてはいけない人物が世界最強の権力を手に入れてしまったという事実だ。

 

 もう一つイヤな予感、いや妄想をしてみようかと思う。自分がトランプ大統領になりきってみて彼なら今後どうするか、思考実験をしてみるのだ。

 彼の性格からして権力を持つからには「行使するもの」だという考えを持っている可能性が高い。過去の彼の番組では「You are fired!」と次々に出演者をクビにしていったが、おそらくその「人事権の行使」に対して遠慮や躊躇はなかったのではないか。どちらかというと快感に感じていた、もしくは楽しかったのではないだろうか。もちろん国政とテレビ番組では大きく質は異なるが、彼の性格の本質は変わっていないと筆者は思う。

 さて、米国大統領が持つ最強の「権限」とはなんだろうか。おおかたの人は「核のボタンを押せる」権限を想像するのではないだろうか。彼はこれを「権利行使」したいとある時点で考えるのではないか。最強の武器を作ったのにもかかわらず、使わないとはどういうことか。使わない武器など意味がない、なら俺が使う。と心をよぎる瞬間が生じるのではないか。

 

 では行使する相手は誰か?北朝鮮かイランかロシアか中国か?たぶんどの国でもないと思う。おそらく行使する相手はほかでもない、自分の国、米国だ。

このエントリーの内容は素晴らしくよくまとまっている。特に「分断」された世界観についてわかりやすいので下記にも引用したい。

それは、僕が思うにある種の「内戦の時代」だ。資本家と労働者、右翼と左翼、白人と黒人みたいな、従来の対立とは構造が違う。「オープンになっていく世界」と「閉ざされていく世界」、それぞれの住人同士の戦いの火蓋が切って落とされた。それがBrexitと大統領に起こった二つの番狂わせの理由なのかもしれない。

「オープンになっていく世界」と「閉ざされていく世界」。その差が今後も広がり続ければ選挙というポリティカル・コレクトネスな「戦い」だけでは飽き足らなくなっていくだろう。どこかで、どの時点かで、必然的に、大なり小なりの「内戦」は生じる。差の広がるスピードが世界で最も早い米国では、「内戦」が起きる土壌も世界で最も整いやすい。

 内戦は外国と戦う「戦争」よりもタチが悪い。可愛さ余って憎さ百倍、身内だからこそ、互いに知り合っているからこそ許せない、という経験は誰しも少なからず遭遇しているのではないだろうか。これが国規模で起きた場合、泥沼化し、長引き、悲惨さは戦争をも凌駕する例は少なくない。

 トランプ大統領はこの「内戦」が自国で可視化した場合どう見るだろう。憎しみと怒りを煽ることにかけては右に出る者がいない彼にとって、相手方を徹底的に「敵」として仕立て上げることは造作もないことだろう。味方を憎しみと怒りで結束させていくことも得意とするところだ。もしそうなった場合、禁断のボタンを押す大義名分を彼は手にすることができるのだろうか。そして大義名分を「権限行使」へとつなげていくのだろうか。

 本来この負の連鎖を止めるには、分断された世界観を地道に時間をかけて埋めていくしかないのだが、率先して埋めていかなければならないはずの大統領が、最も足を引っ張る存在になりかねないという可能性を否定できないところが恐ろしいのだ。

 

 繰り返すが、これは何のデータの裏付けもない筆者の妄想である。ただ、こういう視点の持ち方もあるということを当エントリーを読まれた方は覚えておいていただければ幸いである。