異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

日本の「貧弱すぎる再配分」はそう望まれているからこそ生まれた

このブログの著者の言いたいことはとてもよく理解できるし、共感もする。が、貧弱すぎる再配分に対する危惧を持つだけではことの本質が見えてこない。

日本の貧弱すぎる再分配は戦争をもたらす - throw ideas into shape

今の日本社会は階層の固定化と貧弱すぎる再配分を望んでいるからこそ、このような結果になっているのではないだろうか。

「自己責任」に裏打ちされた極度の他者依存からの逃避、いくら働けども脱出不可能な貧困、世代間に引き継がれる階層の固定化、社会保障費削減による再配分の低下、そしてまた貧困への奈落。はなはだ陰謀論めいてしまうが、これらの悪循環はグローバルなシステムの一部として組み込まれているのはないかと筆者は想像する。

というのも米国をはじめとして、世界各地で同様の現象がここ十数年で(もっと昔からかもしれないが)よく見聞し、問題となっているからだ。一方ですさまじく巨万の富を手にする人たちも増えていることも事実だ。貧困への道の細部は多少違えど、大筋は類似した道筋なのではないか。富への道もまた、ある「固定化」されたものとして見て間違いないと思う。

このような社会が望まれなければ、こんなに同時多発的に世界各地で起きるということは通常考えにくいのではないだろうか。望む意思があるからこそ、このような世界が形作られていくのである。

 

引用した記事によれば、日本人は「がんばればもっと稼げる」と思っているらしい。いや、「思わされている」という表現が正しいのかもしれない。「がんばればもっと稼げる」、逆を言えば「もっと頑張らないから稼げない」。

どこか既視感のある言葉だとは思わないだろうか。そう、ブラック企業の経営者たちが好んで使う従業員を思考停止させるマジックワードの一節だ。上方移動性を極端に低くした上で、馬車馬のごとく人間を働かせることのできる経営者が、今の日本に望まれている姿だとも統計結果から解釈可能なのではないか。次から次へとブラック企業が登場している背景には、「ブラックが望まれている」からこそ蛆のごとく湧いてくるし、よほど強い力をかけない限りおそらく減ることもない。もっとも厄介なのはブラックから搾取される側が「自己責任」と思わされることにより、自らブラックへの恭順/協力姿勢を結果的に取ってしまっている。これでは強い規制も望めるものではない。

話を戻そう。

もしどこかで望まれるよう誘導されて現在の社会形態になっているとすれば、それを覆すのは容易くない。生半可なエネルギー量ではまずもって不可能で、必ずどこか痛みを伴うものとなるだろう。先日のスコットランドの投票などは、導火線に火をともすところまでは行ったのかもしれないが、エネルギーとしては不十分であった。

筆者は混乱を望まない。ただ、このまま格差が拡大すればするほど大きなリスクを取ってでも変えていきたいという想いはエネルギーとなって収斂し、溜まっていくだろう。それがいつどこで爆発するかはわからないが、そうなる前に格差を是正する策、すなわち現在ある社会の流れとは異なる方向にまず目を向ける勇気が必要である。