異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

国会デモとヘイトスピーチは別問題である

フザケるな。

自民党、国会デモの規制を検討「仕事にならない」 ヘイトスピーチPTが議論

国会周辺の大音量デモ、規制検討 自民ヘイトスピーチPTで - MSN産経ニュース

東京新聞:自民 国会デモ規制検討 ヘイトスピーチ 街宣対策に併せ:政治(TOKYO Web)

国連がヘイトスピーチを規制する提言を行ったことをいいことに、早速マトはずれな議論が展開されようとしている。こうした大義名分にかこつけて、自分たちの都合のいいように法制化を進めるのは昔から軽薄短小な為政者の常套手段だ。国連が提言を出したときから筆者はこうした動きを危惧していたが、まさにそのとおりになった。

記事によると「国会周辺での大音量のデモに対する規制も併せて議論」もするらしい。本来、大音量でデモをすることと、差別表現をすることは別問題なはずである。それでも一緒に議論を謀ろうとするのは、裏に別の意図が必ずあるからだ。それは彼らの喫緊の問題として、国会前で行われている原発反対運動を封じ込めようとする意図があるからである。右翼の街宣車のような大音量の迷惑行為も確かに存在するが、これらと一緒くたに規制することには慎重になる必要がある。

大きな音が立てられなくなれば、その注目度も半減する。それでも彼らは攻撃の手を緩めないはずだ。この次に行うことは「人を集まらせない」ことに注力するだろう。人々から「結社の自由」をうばうことで、「数の力」を封じ込めに動いてくるのである。もしここまで行くと、情報分断に成功したことと同義で、全体主義国家の完成はほぼ間近だ。

閑話休題。

この中で高市早苗氏が大変面白いことを言っている。

仕事にならない状況がある。仕事ができる環境を確保しなければいけない。

仕事にならない状況に陥っているのは、自らの軽薄短小な行いがその状況を招いているわけで、それに抗議している人たちに責任を転嫁しようとしている。どうしてこのような人が国会議員をやれるのか本当に理解に苦しむ(このような人だからこそ国会議員ができるのかも知れなが・・)。この人の主張している他の政策もそのほとんどは賛成できないが、何より筆者にとってこの人が嫌なのは、こうした論点のすり替えを平然とやるその姑息さである。こういう人を卑怯者と呼ぶにふさわしいと思う。

この人の不規則発言は続く。

ヘイトスピーチに関してはそれを特別の規制対象とすることはないと明言。

 「ヘイトスピーチにとどまらず範囲を広げて議論する考え」らしいが、筆者にはそうとは読み取れなかった。この発言が本当なら、ヘイトスピーチについての規制議論はせず、大音量や他の部分について規制する腹積もりと取れる。なぜならこの人の今までの発言や行動から察すると、「ヘイトスピーチをする側」の人たちの考え方と酷似しているからだ。ヘイトスピーチを規制するはずの議論が、ヘイトスピーチ自体は野放しとなり、規制対象としてはならない行為が規制対象となるのではないか。ヘイトスピーチ被害者は救われず、ヘイトスピーチ加害者がさらにのさばる世の中になるのではないか。そもそも人権侵害を繰り返している政治家が、人権擁護に関わるなど片腹痛い。

今回の議論は国連の大義名分の尻馬に乗ろうとする明確な恣意的行動だ。ここのところ政治がらみの横暴が多くまかり通っているが、もうこれ以上いいかげんな決定をさせてはならない。