異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

日本は蛮族国家となることを望んでいるのか

日本は蛮族国家を目指しているのだろうか。

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「蛮族」の定義はいろいろあると思うが、その一つに「人命を大切にしない」というのがある。それと関連して、「人をモノのように扱う」こともサブ条件の一つに加えることもできるのではないだろうか。

女性に対する差別は古今東西たくさんある。それも現在進行形の問題である。「先進国」と呼ばれる国々は、紛いなりにもその問題に取り組み、歩みは遅くとも進歩は見られる。まだ男女が同じ土俵で、互いを認めつつ語ることができる目標には程遠い状況ではあると思うが、真摯な姿勢で取り組んでいる国は少なくとも存在する。

日本は先進国なのだろうか。新聞の記事を読む限り先進国であるようだし、先進国のリーダーが集う会議にも参加はできるらしい。ただしそれらはあくまで社会の経済的な側面から優れているだけで、人として生きる側面からは甚だ疑わしい。人として生きることの満足度が高い社会であれば、上記のようなヤジはほとんど出てこないはずである。互いの尊厳を認め合っているのであれば、何を言ってよく、何を言うべきでないか、他人を傷つけたら何をすべきか、それぐらいは認識しているはずである。それらを「礼節」ともいう。

日本は蛮族国家なのだろうか。たぶんそうとも言い切れない。少なくとも「今のところ」は。なぜならば、礼節をわきまえている人は少なからず存在する。これらの人たちがかろうじて「蛮族国家」になることを防いでいる。ただ残念なことに、近年では礼節をわきまえない人たちが大幅に増えつつあると思う。それも日本社会の中枢を担う人たちの間でその劣化が激しい。

上記の「ヤジ」はほんの一例かつ発端の一つにすぎない。従軍慰安婦が存在しなかったと公言する人や、慰安婦制度は他国も行っていたことだからと言って相対化し、正当性を主張する人。ブラック企業を擁護し、労働に関連した法律を変えることによってブラックを推進しようとする人。そして男性だけでなく女性もブラック化した働き方を強く推奨する連中。こうした人たちが日本社会で力を持ち、その数を増やしていることは間違いない。人を「モノ」として捉え、「モノ」として扱い、「モノ」として使い捨てていく。そこには礼節など存在しようもなく、あるのは「儲けよう」とする目標とそれを継続的かつ無分別に「成長」させようとする短絡的な策である。人を「モノ」として捉えることに反感を持つ者に「差別」という制裁を下す冷酷な意思である。

こうした種々の社会事象を加味していくと、日本は蛮族国家を目指していると言わざるを得ない。このままでは、悲しいことではあるが、人をモノとして扱った「事件」は増えていくだろう。いや、事件にもならなくなる日も近いかもしれない。トップも蛮族思考で、周囲も蛮族習慣があれば、蛮族的な行為は「日常の一部」になるのだから。

筆者は日本が蛮族国家になることを望まない。人の尊厳は個々人認められるべきであるし、人は「モノ」では断じてない。人をモノ化し、劣悪な差別を容認する社会には今後も抵抗していくつもりである。