異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

競争力を確保・向上させることと、労働時間の規制緩和は本来別問題

当ブログでも何度も指摘してきたが、残業代ゼロの対象者を絞ることは、財界にとってベネフィットが少ないのである。

残業代ゼロ「対象限定せず制度化を」 経団連会長が強調:朝日新聞デジタル

過労死ラインの2倍となる月160時間を「適正」とし残業代ゼロ狙う榊原東レ会長が経団連会長に就任|すくらむ

今は例え対象者を絞ったかたちで運用しようとも、将来必ず対象者枠を拡大してくる。これは間違いないことだと筆者は考えている。

経団連やそれに連なるブラック企業の連中は、国際競争力やキャリアアップなどを名目に、労働時間枠を「従量課金制」から「定額制」に変更を迫っている。OECDの発表した世界の労働時間を見ると日本人の労働時間は統計上の数値を見るだけなら多い方ではないが、これにはサービス残業時間がカウントされていないようなので、鵜呑みにできる統計ではない。もっと精緻なデータは必須であるが、単位時間あたりの「生産性」を見ていくのであれば、決して日本は高い方ではないと筆者は見ている。

しかし、単位時間あたりの生産性が高くないから「定額制」にしていくべきという論拠にはならない。筆者が考えるには本来、日本の商習慣からまず変えていくべきであって、給与・報酬制度から変更を迫るのはお門違いだ。無駄なハンコのスタンプラリー、どうでもよい報告資料作成、帰着点のない会議、不要な人にまで根回し、段取り重視のプロジェクト推進、異常なまでの納期に対する拘り、などなど。こうした現場の無駄な負荷から一つずつ解放した上で、はじめて給与・報酬制度の議論に繋げられるものだと思う。商習慣を変えることなく、給与・報酬制度だけ変更をするというのは偏った制度であるというだけでなく、間違いなく労働環境を悪化させるものだ。

もっというのであれば、教育制度にも手を入れなければならない。以前にも述べたが、「年功序列を残して、終身雇用は廃止」というのは明らかにおかしい。「正しい歴史教育」や「愛国心」をどうこうする教育改革など、はっきりいってそんなくだらないことなどやらなくてもよい。歴史など半世紀経過したぐらいでは本当のところは見えてこないし、愛国心など国の運営さえうまくできていれば教えずとも自然と身につく。学校教育の裏の側面として行われている部活動などによる「年功序列」の叩き込みのほうがはるかに問題の根は深いと筆者は見ている。

労働時間規制は働く人の健康を鑑みて作られたものである。本来、「日本企業の競争力を確保・向上させる」ことと、規制緩和させることにつながりはないはずである。 規制の範囲内で「競争力を確保・向上させる」ことが雇用者には求められているのであって、それができなから「ルールを変えたい」というのは「雇用者の甘え」というのである。

東レという会社はどうやら、雇用者に相当「甘い会社」らしい。過労死ラインの2倍の労働時間を「適正」としているなど、「会社のために死んでも構いません」と宣言しているに等しい。こういうのを「労働者の隷属」というのではないだろうか。そんなズブズブの「甘い会社」のトップが経団連会長になれてしまうのだから、日本の企業社会構造自体がどれだけ「甘い」かを如実に物語っている。もう少し辛味を効かせられる世の中にできないものなのか。