異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

結局のところこれはブラック企業への消極的肯定を意味する

まだ学生さんなのでここで書くのも酷な気がしないでもない。だが、彼らも大人であるので書きとめておくことにする。

ユニクロはホントにブラック企業?学生バイトが赤裸々に語るその実態とは

「ユニクロでのエピソードを赤裸々に語る」ということで期待に胸が膨らんだが、なんのことはない、単なる「不幸自慢会」であることにげんなりした。

勤め先などにはこうした雰囲気を持つ連中は必ず存在すると思うがどうであろうか?自分の経験してきた不遇については、立て板に水のごとく語るが、なぜか現状を打開しようとはしない。

健康診断結果などでもそのような井戸端話は見受けられる。「要検査」項目について、その数と内容をあたかもすごい不幸を担いでいるかのように(自慢気に)語るが、その口調はなぜか暗くない。会社を休むか早退などして病院に行けばいいのに、仕事の忙しさを理由になぜか行かない。

現状の不幸を語るときには饒舌であるが、打開の具体策になると、特段意見を持たず、行おうとする意志は決定的に欠ける。現にこの記事で紹介されている学生さんたちは苦しみなど感じられなく、顔を隠されているとはいえ、語っている楽しさが写真からも滲み出ている。朝7時半に出勤し夜10時半に退勤しても、サービス残業をさせられようとも、朝礼で挨拶を何度も大声で練習させられようとも、胸ぐらを掴まれようとも、そこに悲壮感は漂っていない。地獄のようだと口では言うが、おそらく明るく笑いながら語っているその姿は想像に難しくない。アルバイトでもあったことであるし、過去の苦労を笑い話で片付けられることに越したことはないが、そんなにヌルイ話で終わっていいものなのだろうか。

彼らは口々に不遇を語りながら、結局のところブラックの「現状維持」を望む人たちである。そしてブラック企業を構成する従業員の多くは、彼らと同様の立場を取ると筆者は考えている。彼らはブラックであることを若いうちから、積極的でないにしろ、ヨシとしている。痛烈に批判しても失うものは少ない立場であるにもかかわらず、ブラックを受け入れている。

筆者は大人である彼ら個々人の判断についてとやかく言うつもりは全くない。ただ、ここから見えてくるのはブラック企業が横行する社会を少なからず、消極的にせよ、望む者たちがいるという現実である。

ブラック企業がさらに今後横行する社会を彼らは想像してみたことはあるのだろうか?ブラック企業がもたらす弊害は賃金格差/富の独占や心身の健康問題だけではない。その数が多くなれば社会的価値観にも必ず影響を及ぼす。

ブラック企業のトップは断定的な物言いを好む。例を上げればキリがないが、

  • 変革しろ、さもなくば、死だ。
  • 人間は、仕事以外で成長する方法はないんですから。
  • 命がけで全部のお客様を気にしてたら物なんか口に入るわけがない。

断定的ということはほかの意見や価値を受け入れる余地はほとんどないということだ。このブログで何度も取り上げている、絶対的価値への傾倒が社会的な風潮となることだろう。その結果、絶対的価値とは異なる価値観を持つ者にとっては、大変生きづらい世の中になることは、過去の歴史を少し顧みれば誰でも理解できることだ。

 

また、記事の最後にあるインタビューワーのコメントが気になった。

そういう意味では、ブラック企業なんて基本的に存在しないんじゃないか、という風に捉えることもできる気がします

これはどのような気持ちで述べたのだろうか。学生たちの意見を肯定的に捉えたのか、それとも皮肉を込めた発言であったのか。ブラック企業について取り上げるのであれば、オブラートに包まず、もう少し気の聞いたコメントが欲しいところである。