異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

社会基盤は情報の「質」の良し悪しで決まる

日本の報道は言うまでもないと思うが、先進諸国と呼ばれる国の中で際立って落ちぶれている。

報道の自由、日本後退59位 福島事故と秘密法響く - 47NEWS(よんななニュース)

福島の原子力発電所の事故当時、筆者はほとんど日本の報道を信じなかった。日本で書かれていたことは、肝心なところには触れず、良くて「ウソではない」レベル程度の情報しか得られなかったからである。数年経った今においてもその姿勢は変わらず、むしろ悪化していることを上記の記事は示唆していると思う。

物事の本質から目を逸らさせる報道も日々増えているとも思う。現在、ソチオリンピックが行われているが、日本でも6年後には東京でもオリンピックが開かれる。華やかな側面ばかりが強調され、否定的な意見についてはボコボコにされていることが散見されるが、そうした「空気」の中では真っ当な批判を展開するのは難しいだろう。当たり障りのない芸能ゴシップネタや、反撃されても防御壁が展開できる「上意のお墨付き」報道が横行している状況が、今の日本の報道だと認識している。

 

正確な情報伝達は現代社会において、もっとも重要な「社会インフラ」の一画を占めると筆者は考えている。水道や街道などのように「モノ」を流す道もとても大事であるが、それと同レベルで情報伝達も生活する上で大切なものだと思う。この情報伝達道は「インターネット」という名でここ十数年で飛躍的に発達した。過去、どの時代を切り取ってもこれほど豊富な形で情報が伝達されたことはない、と豪語しても異論はないだろう。情報革命と言われる所以でもあると思う。

問題は「道」は通ったにも関わらず、そこを流れる情報の多くはその「質」が低いということだ。水道でもそこを流れる水が汚れていた場合は人々の生活に支障をきたす。それと同様、質の低い情報をひたすら流せば人の思考能力はまず持って低下する。さらに匂いや外見は良さそうに見えていて、その実レベルは著しく低い、あたかも毒のような情報も巷では氾濫している。わかりやすい例では、「☓☓☓甲子園」などの行事をすばらしいことのように垂れ流す情報などがあげられるだろう。

こうした汚水のような情報を否応無しに飲まされている状態では、社会全体としての知力レベルはどうしても下がる傾向に向かう。その結果、緩やかではあるが確実に社会の基盤を蝕んでいく。こうした事態になることは報道関係者であれば一般教養として理解していると思われるが、それを打破しようと実際に動く人が非常に少数であるのがとても残念である。

ではいかにして少しでも質の高い情報に触れることができるか。一つには情報を受けるだけでなく、自分で発信してみることだと思う。自分なりに情報を調べて整理し、発信することで紛いなりにも情報の「結晶」は出来上がる。そしてそれを外部世界に晒すことで、その結晶に磨きをかけられるのではないだろうか。この作業を繰り返すことで質の高い情報とはどういうものであるかが、少しでも見えてくるのではないだろうか。これは筆者が当ブログを書いている理由の一つでもある、と言えるように成れたら格好いいと思う今日このごろである。