異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

日本もチップ制の導入を考えてみたらどうだろうか

以下のブログ記事には多くの部分で共感できた。

日本人は契約内容以上のサービスを相手に求めすぎ
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2014/01/09/204448

異国の地に住んでいると多くの点で日本のサービスと比較してしまいがちである。特に住みはじめの頃、その傾向は顕著で日本のサービスの質の高さにどうしても目がいってしまう。しかし、そのうち現地のサービスにも慣れてくる。いつまでも慣れない人も多いが、異国に住んでいる限りは、少なくともどこかは慣れないと自分自身を追い詰める結果となる。

慣れる必要があることの一つに、良いサービスを受けたいのであればそれなりの対価を支払わなければならないということだろう。おいしいものを食べたければそれなりの値段のレストランに行く必要があるのと同様、良いサービスは値段に比例する。また、店によってはサービス料金を別途枠で上乗せしているところもある。

客側もチップという形でサービスに対する対価を支払う。よく「異国で暮らす人」用の掲示版では、チップをいくら払うのかという話題が盛り上がっているのを見かける。チップには明確な支払い基準というものが存在しないため、皆どのくらい支払っているのか知りたいと思うのはある意味当たり前の心情とも言えるのかも知れない。

このチップという制度、個人的には多少複雑な気持ちもあるが、客側としていくつか「使える」部分はある。

  • 「サービス」に対して「お金を支払っている」という目的意識が持てること
  • 支払金額には(店にもよるが)それなりの自由度があること
  • 本当にサービスの程度が悪ければ1 penceだけ置いていくという、客側の意思表示ができること
    ※ポイントはチップを必ず支払うこと。何も支払わないと「忘れた」と見做されかねない

「サービスはいつでも/どこでも高水準」で受けられると思いがちな日本人は、引用させていただいたブログにもある通り、とても多い。店側にも(客側もそうかも知れないが)「お客様は神様」という価値観が根付いており、低料金で必要以上のサービスを展開してしまうケースは少なくないと思う。そしてこの価値観が過剰化することにより、引いてはモンスターカスタマーやブラック企業を登場させる地下水脈として繋がっていくのではないだろうか。

ちなみに個人的な意見だが「お客様は神様」という商業価値観は何か履き違えていると思う。「お客様は人間」であってそれ以上でもそれ以下でもない。今の日本社会において人間という価値観より上位に「客」を据えることにどのような理由や意味合いがあるのか私には理解できない。ただ時代背景がそうした過剰な価値観を登場させ、普及したことはある程度理解可能だが、現代において杓子定規的にそれを適用していくのはどうも違う気がする。

日本におけるサービス産業の占める割合は重くなっているが、それに対する正当な対価は得ているのだろうか?商慣習として根付くかどうかは別として、チップ制の導入などは「サービスはタダではない」という意識を持つのに多少貢献するのではないだろうか?

客側が主体的に値段を決めて支払うという慣習ははじめ難しいかもしれない。チップを払わない、もしくは1円しか払わない客もはじめは多くいるだろう。だが、日本の持つ「恥の文化」の機能が回りだせばサービスに対する意識は少しずつ変わっていくのではないだろうか。

昨日の価値観や慣習をそのまま継続すれば良いというものではない。明日に対応した価値観も変化を加えながら導入していく必要があるが、そのヒントは異国文化に結構転がっているものだ。