異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

ルンバとDroneとその近縁

我が家に最近Roombaがやってきた。その掃除をするさまを見ながら考えた。

I worked on the US drone program. The public should know what really goes on
http://www.theguardian.com/commentisfree/2013/dec/29/drones-us-military#

Droneのオペレーションで過剰なストレスが兵士に起きるリスクがあることを上記は示唆している。武装したテロリストなのか、一般人なのかの区別が非常につきにくく、ターゲットを殺害した後にメンタル面に大きな負荷がかかる。その結果、自殺に追い込まれるケースも少なくないという。

下記は米軍精鋭部隊の司令官が自殺した記事である。彼はUsama Bin Ladinの殺害ミッションにも参加していたようである。

Navy SEAL commander dead in Afghanistan in suspected suicide
http://jp.reuters.com/article/idUSBRE8BN00T20121224?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0&sp=true

何が彼を自殺まで追い込んだのか、それは目下調査中のようだが、どこかで心の呵責があった可能性は想像できる。Usama Bin Ladinを殺害することに対してそれは少なかったかも知れないが、SEALのような精鋭部隊は数多くの戦闘に参加しており、その任務中になんらの「間違い」があった可能性は否定できない。

人を殺害する任務を受け、それを実行するには並大抵な精神力ではやっていけないだろう。任務実行後の数日間、消耗が激しいことの想像は容易にできる。(中には殺害任務を楽しんで行う者もいるだろうが、それは人としての何かを捨てた「怪物」の域に行ってしまっている者たちだ。)

軍や政府上層部にとって、こうした自らに対して呵責を行う兵士の存在というのは好まれない。命令を忠実に実行してくれる兵士を常に望んでいる。だが人間である兵士に対し、ターゲットの殺害命令をする限りにおいては必ず呵責を持つ者は現れる。その文脈で考えていけば次に登場しておかしくないのは、人心が介在しない自己判断型Droneの存在だろう。

冒頭に述べたRoombaだが、部屋の掃除が格段に楽になった。思っていたよりもはるかによく埃やゴミを取るので部屋がさっぱりと綺麗になったことがよく見てとれる(単に部屋が汚かったという見方もできるが・・)。この楽さ加減はすばらしく捨て難いものがあり、普通の掃除機を自分でかけるという行為が「今まで何をしていたんだろう?」と思うほどである。

そしてこれが「兵器」としてのロボットだった場合、「攻撃を行う側の負担」はお掃除ロボットと比較にならないほど軽いものになるのではないかと思うのである。

Computer Chips That Work Like a Brain Are Coming — Just Not Yet
http://www.wired.com/wiredenterprise/2013/12/qualcomm-zeroth/?cid=co16492854

人の脳に近い「学習する」ロボットが開発中だというが、そう遠くない将来において登場すると思う。人以上に人を効率的に殺害するロボットも近い将来登場するのではないかと危惧する。そう、映画にあったあの「ターミネーター」のように。

とても不謹慎な言い方かも知れないが、どのような理由であれ「人を殺害する側」には、あらゆる意味においての「負担」は強いられるべきだと思う。これが何の呵責なしに「ロボットにやらせる」軽いものにしてはならない。人を殺害しようとするその思想・計画そのものに甚大な欠陥があると思うが、それでもそのダークな計画に陥ったときには「負担」を背負う覚悟下において行われるべきだ。自己判断型兵器ロボットがもし登場すれば、人間としての責任と覚悟はロボットというフィルターを通して希釈され、見境のない殺しの嵐に突入する可能性が極めて高い。

技術が進歩するのは素晴らしいことであるが、人が負うべき責任が存在することを事前にはっきりと宣言しておくべきだと思う。こうした倫理・哲学的な分野の議論が行われているとは聞くが、技術の発展とその話題性に比べて地味なのがとても気がかりな今日このごろである。