異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

ブラック企業は「奴隷の思考法」を望む

 

以下の記事で日本のブラック企業に比べればアマゾンは大したことはないとの趣旨を記載しているが、正直あまりそうは思えない。

アマゾンはブラック企業、に同情する!
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39302

確かに「下」をみればいくらでも「下には下がいる」だろう。日本の企業などは先進国と言われる国々から見れば労働環境としてはかなり底辺の部類に入るかと思われるし、さらにアジア諸国を見わたせば劣悪な環境はいくらでもある。しかし、「下位比べ」をしたところで何の意味も持たない。

人間という生き物は元来、少しでもより生きやすい環境を目指して「発展」していくべきであると思う。自分がいる「そこ」が劣悪な環境であるから、ほかのより低位な環境と比べて「自分はマシだ」と思い込むのではなく、今いる「そこ」をどうすればより良い環境にできるかを考えるべきだ。

下位比べをすることで、現在の低位な環境にある自分を満足させる思考法は危険であると考える。問題の本質から目を背け、自分よりもひどい環境が他にあるからそこで「我慢する」という論理のすり替えがここでは行われている。そしてこれこそがブラック企業が渇望する「奴隷の思考法」ではないだろうか。

アマゾンがこうした思考法を予め従業員に望んでいたか否かはわからない。しかし、ビジネスの拡大方法を見るとそうした一面もあったのかも知れないとの疑いは捨てきれない。

産業が衰退した街において彼らは「仕事を作る」という御旗においてやってくると聞く。仕事がなかった者たちは喜んで飛びつくが、実体は過酷な労働と管理が待ち受ける。しかし辞めれば無職に逆戻りである。「アマゾンで仕事があるだけマシ」との思考法へ流れていくのも無理はない。

アマゾンが仕事を提供しているのは事実であり、街にとってもありがたい話であるのは間違いない。しかし、もっと別なやり方もあったのではないかと正直思ってしまう。機械的に従業員を働かせ、他と比べて自分が働く場所をユートピアと思わせるようなやり方にはどうしても賛成できない。

アマゾンのサービスはいつも利用しているし、すばらしく便利なのは間違いない。しかしその影で思考を固められながら働いている人たちがいるという現実があるのはなんともやるせない。アマゾンほどの企業であるなら打開策は必ず考えられるはずである。それが実現する日が一日でも早く来ることを願う今日この頃である。