異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

「大統領」がなくなる日は来るのか

 米国の大統領選がきな臭くなってきている。

CNN.co.jp : トランプ氏支持率、クリントン氏を逆転 米フォックス調査

とはいえ、これは保守的で有名なFOXの調査なので、調査方法にバイアスがかかっていることはほぼ間違いないと筆者見ているが、心配の種は尽きたわけではない。

 

 それにしてもトランプ氏がここまで躍進する状況というのは、ほとんどの人が予想できなかったのではないだろうか。以前、どこかの著名な占い師がオバマ大統領がアメリカの最後の大統領になると予言したとかしないとかいう記事を見たが、なんだかそれが現実になりそうな勢いである。

 トランプ氏の発言を聞く限り、現代世界の王とも見ることができる、米国大統領におよそ向いているとは思えない。どちらかというと独裁者という立場が彼には似合っている。

 米国民が決める大統領であるが、これだけ世界に影響をおよぼす立場の役職であるので、米国民以外の人たちにも投票権が欲しいぐらいである。米国民だけにこのような重大決定を行わせるのは、なんだか心もとない。

 重大な立場にこれだけ暴言と憎しみを煽るリーダーがついたとあっては、世界の行く末に暗雲が立ち込めることはほぼ間違いないだろう。ただ、いろいろなところで言われていることではあるが、このような状況を招いてしまったのは、米国における格差社会が最大の原因の一つであることは疑う余地はない。Occupy Wall Street運動が少し前に米国で流行ったが、その格差への怒りが憎しみへと沈殿・濃縮され、矛先を違えて一気に噴出してきた感じがする。あの運動も怒りの噴出だけでまとまりがなく、何も解決しないうちにうまくやり込められて終わってしまったが、鬱積した怒りは簡単に消えたわけではなかった。怒りの対象を見つけられなかった人々に、目に見える憎しみの対象を上手に与えたのがトランプ氏だったのではないか。

 

 筆者が米国に住んでいた頃、通り一つ跨ぐとそこは別世界というケースはいくらでもあった。シリコンバレー周辺という、経済発展が著しい地域にあっても、取り残された貧困層は確実に存在し、ある意味、隔離地域として貧困は存在していた。貧困地域にいない人たちから見れば、そこは見えない/見てはいけないところで、話題に上がるとしても「あそこには近寄らないほうがいい」といった否定的な意味合いの言葉しか返ってこないのが印象的だったのを覚えている。

 すぐ側の道を跨げば、豊かな生活を営んでいる人たちがいるなか、自分たちはあたかも存在しないか、もしくは汚物を見られるような視線を日々浴びせ続けられれば、やりようのない怒りが積もるのも難しくない。ここ数年でさらに格差は大きくなったと聞くし、豊かさの裏側に追いやられた人々も増えたのではないか。

 

 貧すれば鈍するの言葉もあるように、貧困に陥れば正常な判断もできなくなる。視界に入る身近な対象に怒りの矛先は向きやすくなり、問題の本質に取り組むという姿勢は欠如していく。目の前の喫緊問題ばかりに取りかかり、根本問題をつぶさに見ていこうとする思考法ができなくなる。いわば思考のスキに「付け入りやすい」状況を作り出すことになり、結果、煽ることを得意とする指導者の言葉に惑わされることになる。例えば下記の例などはもしかしたら該当するのではないか。

 トランプ氏集会、憎悪の連鎖 衝突続き、流血・逮捕者も:朝日新聞デジタル

トランプ氏の「ヤツの顔面にパンチしてやりたい」と発言した後に、本当に殴りかかった支持者がいたようだが、この支持者の生活はどのような状況なのか。どのようにトランプ氏の言葉が響いたのか興味があるところだ。トランプ氏からすれば、どこまで支持者たちに自分の煽り言葉が浸透しているかを見る試金石になったことだろう。彼は自分の乱暴な言葉を意識的に使っており、その意図がどこまで浸透し許されているのか、確かめているフシがある。

 

 こうした排外的な傾向が影響力最大国で認定されてしまうと、他の国へも波及していくことは想像できる。どういう形で波及するか判断は難しいところだが、マイノリティへの弾圧は行われるだろうし、特定対象者への差別や暴力も容認され易い社会へと移行していくことだろう。

 一般的に恐怖と暴力は上から下へと流れていく傾向があるが、トランプ氏の支持者たちは、その対象がいつか必ず自分も該当することになると想像できているのだろうか。困窮からそれができなないほど思考停止しているのではないかと危惧している。

貧困の本当の恐ろしさはこういう状況をつくりだしてしまうところにある。