異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

「社内ルールは法律より重い」という認識について

 少し前の記事だが、気になったので書き綴っておこうかと思う。

「会議に遅れられない」緊急停車中の電車を降りて線路を歩く! 法律に違反しないの? (弁護士ドットコム) - Yahoo!ニュース

この人物が「会議に遅れてしまう」という理由で、本当に線路を歩いていたとするなら紛れもない社畜であることは確かだが、それ以上に、法律という社会ルールの上位に「社内ルールを位置づけていた」という認識に驚いてしまう。いつの間にか「社畜無罪」という自分勝手なルールが日本に静かにはびこっていたということだろうか。

 よく思うのだが、この「社畜無罪」の傾向は昔から日本社会にあった。仕事が生活の最優先事項として扱われ、仕事を言い訳にすれば大概のことは許されてしまうというやつだ。身近な例では、待ち合わせにおける遅刻した言い訳として「仕事」を使ったことはないだろうか。

 筆者も昔、日本にいた頃よくこれを使った。遅刻された相手側の反応もまんざらではなく、迷惑を被ったことは事実だとしても「仕事なら仕方ないね」と免罪符へと変わるのだ。本来なら仕事の管理能力のなさが問われるべきところであり、また人との待ち合わせを仕事より「下位」に扱うべきではないと思うが、いざ遅刻被害を被った本人が遅刻した場合も仕事のせいにできるので、なかなかそうならないのが現実なのだろう。

 今回の事件はその延長線上にあるものを極端化したもの、ではないかと思っている。ここまで会議に出席することを実質的に強要している会社は、まぁブラックであることはほとんど間違いないであろう。会社側は「強要はしていない」と判で押したような回答をするに決まっているが、同調圧力などによって、暗に出席しないとさまざまな嫌がらせが行われるであろうことは想像に難しくない。

 この事件で最も歓喜したのはこの会社の経営者である。この社員は法律を無視してまで会議に駆けつけようとする見上げた根性を持っているからである。社会的体裁を保つために一応処分はするが、内心ではマインドコントロールが浸透していることにほくそ笑んでいる。もしかしたら、それとなく命令すれば社の方針に逆らうやつを消し去ることもやってくれるかもしれない。何しろ「法律<社内ルール」という方程式がこの社員の中では、行動に出てしまうほど成り立ってるのだから。

 

 別にこの暴走社員に限ったことではなく、組織的かつ意識的に法令無視を行っているところは決して少なくない。

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特定のムラ社会ルールが、法律の枠を超えてしまうことは珍しいことではないが、数の多さで語ると日本は多い方なのではないだろうか。欧州でもフォルクスワーゲンの改ざん事件は記憶に新しいが、どちらかというと法律が適用されてないところで抜け道を探すか、法律そのものを変えてしまうような動きの方が、多く行われている気がしている。詳しく調べたわけではないので、誰か調査した方がいたら教えていただきたい。

 「法律<社内ルール」という方程式が成り立ってしまうのは、法に対する認識が甘いからにほかならない。罰則を強化すればいいという話ではないが、少なくとも欧州や米国では懲罰的な賠償金を支払わせるような厳しいものを設定している。日本でブラック企業が減らないのは、法律が「ナメられている」というのも一因として存在する。日本は一歩ずつ法治国家を捨て去り、人治国家としての歩みを進めているのは間違いない。