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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

苦労は分かち合えても、恩恵に素直になれない社会

 大きな事件が起きると、いろいろと垣間から見えてくるものがある。ネットをまわっていたら以下の記事が目に入った。

 被災した熊本の方々は今大変な状況で、その支援にまわっている自衛隊の方々には感謝してもしきれない。自衛隊の方々は、被災者にふるまう炊き出しを食べることはなく、自分たちはひっそりと目立たぬように缶詰を食べるのだという。風呂にも3日間入らないこともあり、それでも救援活動を続けていくのだという。全ては被災者のためであり、その職業意識の高さはまさに「プロ」である。

  ただ、感謝の思いを伝えることと、美談として持ち上げることは別問題だと筆者は考えている。この記事の書き方は一貫して「我が身を削って崇高な使命を果たしている自衛隊」と「愚劣で浅ましいマスコミ連中」との対比の中で語られ、自衛隊の苦労を「美談」として定着させようとしている。

 正直、こういう語り口には疑問を持たざるを得ない。自衛隊はもともとそういう職業であるので、もちろん感謝の気持ちは忘れてはならないが、別の見方をすれば「プロの仕事をしている」わけで、それ以上でもそれ以下でもない。ましてや「浅ましいマスコミ共」という対比で語るには、話が飛躍しすぎてはないか。何かしらの恣意的な目的を持って語っていると捉えられても仕方のない文章だと思う。

 

 筆者はもともと苦労話を美談とするやり方が好きではない。他人の苦労の恩恵を受けて感謝はすれど、それを美談とすることには賛成しかねる。なぜならその苦労は、必ずしも良いこと・美しいことにつながるとは思えないからだ。例えば自衛隊員たちがそれらの苦労によって、体を壊すような事態になっては、そもそも本来の目的である、救助活動すらままならない状況に陥る可能性だってないとは言い切れない。

 筆者ならば、どうやったら自衛隊の人たちにも暖かいご飯を食べてもらい、風呂に入ってもらえるのかを考えたい。彼らの苦労を知ってもらうだけではなく、その苦労の軽減をするにはどうすればいいのか、最適な状態で救助活動ができるようにするにはどうすればいいのか、読者と共に考えてもらえるような文章構成にしてもらいたかった。

 

 もう一つ興味深かった記事を取り上げたい。この寄付をして非難を受けるという風潮もどうしても理解できない。

上の記事では振り込み金額の明細画像を公開したことが「無粋」なこととされているが、なぜ無粋なのだろうか。せっかく富を持つものから被災者たちへ大きな恩恵を渡せたのであるから、もっと誉め讃えてもいい。誉め讃えることによって、次の富者からの寄付へつなげようとする流れを作っていく気持ちはどうして生じないのか不思議である。寄付金額を公表して非難されるのでは、寄付をしたくとも「何もしない」という選択肢を取る富者も多いのではないか。

 YOSHIKI氏のように静かに寄付するという粋(?)なやり方もあるだろうが、こういうやり方で名誉欲を刺激される富者は少ないはずだ。基本的に富や権力を持つものが、次に求めるのは名誉であることが多いことからも、何らかの社会的感謝をフィードバックするほうが、どういう形であれ今後の復興資金につなげていくことができると思う。今回の寄付に対する非難は、熊本復興を遅らせる愚行であることは間違いない。

 

 こうした現象をつぶさにみていくと、日本人は苦労や不幸の再分配は得意というか、好む傾向にあるようだが、富や恩恵の再分配については妬みや恨みで潰そうとする傾向が強いように思える。もちろん全員がそうとは言えないが、このような傾向は大きめな事件や問題が起きるとよく表に現れてくる。

 このガマン大会がいまだに連綿と続いているということは、出る杭はひたすら叩き続けられ、社会的に意義が高いことでも多くは潰されていく運命にあるということだ。21世紀の世の中であっても、この悪しき伝統はまだ現実として存在する。この現実を正視する段階にすら我々はまだ立てていない。