異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

人間がサルとしての一歩を踏み出した日

 他のサイトでもすでに多く取り上げられているが、すごいニュースが飛び込んできた。

AIの「人間超え」、その時トップ囲碁棋士は:日経ビジネスオンライン

これは個人的に大きな衝撃だった。ついに囲碁で人間が人工知能に負けたというのだ。筆者は囲碁について詳しいわけではないが、その複雑さについては人並みには理解しているつもりだ。その極めて複雑なゲームにおいて人間が負けたということは、ルールが明確に定まった「枠」のあるゲーム世界において、人間はもう人工知能に勝てないことを意味するに等しい。将棋の世界ではもう人間は勝てなくなったが、囲碁の世界でもこんなにも早く負けるとは正直思わなかった。

 まだ現実世界にあるさまざまな事象を加味しながら「思考」する、つまり「枠」のない世界で意味ある行動をとる、ことはできないだろうが、それも時間が解決してくれる問題だろう。シンギュラリティの世界は2045年よりも早く訪れるかもしれない。

 

 ここのところディープラーニングなどの言葉がよく聞こえてくるので、人工知能の世界についての本やサイトをよく読んでいる。それによると、過去何度か人工知能についての研究はブームがあり、廃れていった経緯があったことが見えてくる。日本政府も莫大なお金をかけて失敗をし、人工知能に関する研究を行うことはある種のタブーに近いものがつい最近まであったようだ。

 ただそれでも諦めずに挑戦をし続けた研究者たちがおり、ついに画像認識の分野において大きなブレークスルーが2000年代中頃にあったという。一度理論のテンプレートが出来上がればその後の技術進展は加速していく。近年のビッグデータを背景として、特徴抽出の訓練を多くかつ速く、ひたすらできる環境を与えれば人工知能の能力は飛躍的に発展していった。GoogleやFacebookといった巨大企業はそういった環境を提供できる立場にあり、彼らは今行っているビジネスモデルとは異なる、次時代の産業を見つめているのだ。

 

 話を戻そう。今回の囲碁での勝負は、チェス世界チャンピオンを破ったディープブルーとは違った次元でのブレークスルーになる。今回のは人間の特徴抽出能力を飛躍的に発展させたものであり、囲碁の世界ではすでに人間の手が届かない次元に入っている。その証拠としてプロの棋士達の勝負に対するコメントが面白い。彼らもAlphaGoが打つ手に対して、明らかに理解できていなかった。AlphaGoを作った当事者たちも、どうしてそのような手を打つのか理解できていなかったにちがいない。そもそも彼らは囲碁の達人ではないのだから。つまりあの場にいた、あの勝負を観戦していた人間は誰一人としてAlphaGoの行っていたことを正確には理解していなかったことになる。

 ここから先の文章は筆者の妄想も含んでくる。多くに人が述べていることではあるが筆者が気がかりなのは、この「ヒトには理解できない」部分だ。これから人工知能の発展を止めることは誰にもできないだろうし、「ヒトには理解できない」部分を人工知能導入初期は「枠」のある簡単な問題解決に、とても歓迎されながら使われることだろう。ただ、当然枠がある問題解決ではできることが限られるので、その枠の拡張や枠をはずして使っていこうとするベクトルは必ず働く。もっと大きくて複雑な問題解決に使いたくなるのは自然の流れだ。

 どんなに倫理委員会などというものを設置したところで、国によっては従わないところも必ず出てくる。また兵器として利用できれば、軍事産業にとってこれほどおいしいものはない。混乱を望む者たちにとってもタガが外れた人工知能は、何よりの武器になることは目に見えている。これらの敵対行動を抑制するには、またさらに人工知能に頼ることになるだろう。

 こうした行動の蓄積が行われるうちに、あるいは人間が知らないうちに、理解できないうちに、人工知能によるヒトという種族の特徴抽出が行われないという保証はない。人工知能はそれをどのように用いるのだろうか?その時にはその用い方すらも我々の想像の範疇外になるにちがいない。サルに人間が存在していることは認識できていても、その思考内容や、文明については理解できていないのと同じように。