異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

「日本死ね」と叫ぶことがはじまりである

 この方の書いていることはとても的を射ている。われわれはもっと怒っていい。

「保育園落ちた日本死ね」と叫んだ人に伝えたい、保育園が増えない理由 | 駒崎弘樹公式サイト:病児・障害児・小規模保育のNPOフローレンス代表

 ここに書かれている3つの壁について気になった。少子高齢化の問題がかなり以前から言われていたのにもかかわらず、この壁についてずっと手をこまねいていた、われわれ有権者、行政、および政治家は、本来この魂の叫びを無視できないところまできてしまっているはずだ。「日本死ね」という恨みの言葉はかなり根深いと認識しなければならない。

 

「無意味なルール」

 本当の岩盤規制は労働の慣習・法律にあるのではなく、マイナス評価を極度に恐れた「事なかれ主義」が築いてきた「無意味なルール」にある。だが、ルールを作る者たちにとって「無意味なルール」に目を向けるのは、自らの利得となる時だけだ。そのため、残業代ゼロ法案のたぐいは何度も消えては出てくるが、利益が出るまでに時間のかかる幼年層の教育環境の「無意味なルール」の撤廃に手を貸す人は極度に少ない。どちらかといえば、多くの場合、無意味なルールをさらに作り上げるのに心血をそそぐのではないか。問題の本質を見ないようにする「無意味なルール」は枚挙にいとまがない。

 

機能しない「富の分配」、爆速の「不幸の分配」

 富のトリクルダウンは幻想であったことはすでに証明されつつあり、貧困のトリクルダウンは爆速で現実化する世の中にあって、取り立てやすい消費税に求めるのではなく、極度に富が肥大化しつつある世界の1%の富裕層や、租税回避に血道をあげるグローバル化した巨大企業から求める方法にもっと知恵をしぼることはできないのか。パイの少ないところでゼロサムゲームを行っている状況では本質的な待遇改善は求められない。絶対量の多いところから求めていかなければ、分配総量は増えることはないのだ。

 保育士の処遇が全産業平均より月額約10万円低いのは何かの悪い冗談か。個人的に教育は全産業の中で最も大変な職業だと思っているが、その方たちの報酬が悪いというのは富の価値基準が狂っていることの証左だと思う。教育の価値がわからない国には不幸の分配が牙をむいて襲いかかる。

 

自分の価値基準しか持たない大人たち

 大人が快適に暮らせるように設計されてしまった日本の都市部において、子どもがすくすくと育つ環境などそう多くは残されてはいない。よい子どもが快適に育つ環境というのを何を持って言うのかはとても難しい問題だが、少なくとも遊び駆けずり回って大声で友達と笑いあえる場ぐらいは提供してあげたい。子どもの声は今日の問題提起であり、明日への指針であり、別の価値軸を提供してくれる声だ。その声を沈黙させようとする街や地域は、真面目な話、明日は来ないと思ったほうがいい。

 

 日本の都市部における子育て状況はマイナスからのスタートである。保育所を多くすると潜在待機児童がさらに増えてくるから新規設置をしぶるような状況だということをどこかの議員のサイトで見たが、本末転倒もいいところだ。マイナススタートである今の現実を見つめ、一億総活躍社会などという標語は質の悪い風評被害だと自覚し、今ある現実に失望し、怒りの声を、どうしてほしいのかを叫び続けるしかない。それがデモという形であれ、ブログであれ、つぶやきであれ、投票であれ、大きな流れに持っていくことが唯一、このマイナス状況を少しでもプラスへ「変えていく」ことにつなげられるのだと思う。