異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

「押し付け憲法」の意味がわかっていない人たち

 なかなか興味深い分析だけど、ナイーブさが拭いきれておらず、知性のレベルが滲みでてしまっている記事だと思う。

中国を牽制するという意味では、確かに今回の解釈改憲では多少効果があるのかも知れないが、結局のところ、それで得をするのは誰かということをもう少し考えてみてほしい。

 

 米国の威光を東南アジア地域まで、まんべんなく光らせることはできなくなりつつあることは事実だろう。世界第2位の経済大国を牽制するには、第3位の国の力を借りたいと思うのは至極自然の流れだとも思うし、米国側から見た場合、日本による中国牽制の助力を求めることは決して大きく間違えた戦略ではない。

 ただ、米国が中東で疲弊して東南アジアまでは手を広げられない状態が続いているというが、全てとは言わないが、それは米国自身が招いた結果でもある。パクス・アメリカーナを広めたいというのであれば、彼らがその責任を負う覚悟が本来必要なはずである。それができなくなってきたからといって、日本にその「国際責任」の一端を担わせようとするのは、本来どこか筋違いな気がしてしまう。

 

 日本は先の大戦で敗けているので、実質上、米国の属国である。「独立国」であると勘違いしている人は多くいるが、戦争で負けた以上、どこまでいっても「独立国」という糖衣をまとった属国であることから逃れることはできない。ことが起きれば糖衣は溶け、すぐに「属国」としての側面が顔を出す。属国のレッテルを剥がしたくば、また大戦争をして、多大なる犠牲を払いながら勝つこと以外にありえないのだ。(ちなみに筆者はこの考え方には決して賛成できない)

 誤解のないように言うと、別に属国であることは決してすべてが悪いことではない。少なくとも、今まで70年間平和を享受できたし、目覚ましい発展を見せることもできたのが何よりの証拠だ。現在の日本国憲法は米国からの押しつけ憲法であると宣う人は多いが、ある側面においてはそうなのである。「米国に押しつけられた」という体裁を整えていたからこそ、ここまでの発展があったと言っても過言ではないと思う。

 

 戦争は言うまでもないが、防衛線を守る、臨戦態勢を整えておくことなど、戦闘に関係する事象というのは、とかくお金がかかることなのだ。憲法に「戦力の不保持」という文言を入れておくことで、これにかけるお金を可能な限り少なく済ますことができたのだと思う。沖縄の人には大変気の毒なことではあった/あるが、米国にいくつか基地を提供することで、防衛の多くの面を「外注」することに成功してきたと言えなくはないだろうか。米国が「お前のところからも兵を出せ」と言われても、「米国さんが言いつけた憲法を我々は遵守していますから」という言い逃れも、程度の多寡こそあれ、可能だったのではないか。

 これは敗戦当時、米国の属国に組み込まれるとわかっていながら、たいへん高度な外交技術を駆使した人たちがいたのだと思う。米国の言いなりになっていると思わせながら、「名を捨てて実を取る」やり方がうまくいった最高の例の一つではないだろうか。

 

 翻って今回の解釈改憲で、日本が得るものは何だろうか?「国際的責任」を全うすることによる栄誉だろうか?軍需産業増益による「成長戦略」だろうか?「積極的平和主義」による他国の恨みを買うことだろうか?米国からの「お褒めの言葉」でしょうか?少なくとも言えるのは、米国やその他の国は、自分のところのお金や血を流すことは少なくなるとほくそ笑んでいるに違いない。

 本来、自分たちの戦力強化と準備をせずとも、お隣の国を牽制する方法はあったはずだと思う。周辺にある国との連携強化や、情報網の強化など、例え属国であっても、どこまで自分たちの案を「宗主国」に提示したのであろうか?まさか「宗主国」の案を言いなりで引き受けたということではないと思いたい・・。 

百戦百勝は善の善なる物にあらず、戦わずして人の兵を屈するは善の善なる物なり

 孫子の一説であるが、かつての日本にはこれを芯から理解し、実践できた人が政府中枢にいたということだろう。そして今はこれを真逆に「解釈」している人たちが多くいるということなのだろうか。