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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

法治国家か人治国家か

politics

 ちょっと思うところがあって前回エントリーからの続きとして書いておきたい。

FCCJ - On My Watch  (日本語訳:FCCJ - 5年間を振り返って)

古舘伊知郎氏と古賀茂明氏の「報道ステーション」バトル全文書き起こし - ライブドアニュース

少し前に話題になったちょっとした「事件」であったが、両方ともに共通するのは、日本政府からなんらかの「接触」があったことを窺わせる記事であるということだ。古賀氏とCarsten Germis氏に話しを合わせるほどの交流があったかどうかは知らないが、文面や内容を見る限りこの二人には共通点はない。共通点がおそらくない二人が、類似したトピックで政府からなんらかの「接触」を受けていることについて、とても興味深く見ている。

 

 これらから筆者の受けた印象は、国内外の報道機関を問わず、政府はなんらかの意図があって接触を図っているということである。はじめは「反日」的な記事を載せているからターゲットにされているのかと思われたが(それでも十分問題だが)、そうではないらしいことがCarsten Germis氏の文面から次第に見えてくる。

 「反日的」であることはあくまで口実であり、本当の目的とするところは、政権運営に批判的なものたちに圧力をかけることにあるのではないか。というのも、Carsten Germis氏はあくまで「公式に発表された統計を引用しただけ」でも「数字が違っている」と言われている節があるし、日本政府による異国のメディアとの「意見交換会」も無くなっているという。政権に取って都合の悪い数字はできるだけ見えないようにし、意見を交換しないことによって、メディアに付け入るところを与えないようカーテンを閉めているのかもしれない。

 とはいえこのようなことは以前から言われていたことではあるが、表だって外国の記者からも指摘されたのは寂しい限りである。もちろんこの記者の言い分がどこまで正しいかは不明だが、こうした情報が異なるソースから漏れ聞こえてくることは真実味を与えてしまう。どんなに情報統制しようとしても、都合の悪い情報というものはどこからか漏れ出てくるものなのである。

閑話休題

 筆者が危惧しているのは、こうした積極的な「接触」により、守るべきものが守られず、「接触の意図」のほうが優先される「空気」が作られてしまうことである。前回のエントリーでも書いたが、最高法規であるはずの憲法がないがしろにされて自治体運営/行政がされてしまうという本末転倒な事態が起きかねない。 

 法律ではなく時の政権意図が優先されるような社会は法治国家とは呼ぶことはできず、人治国家と呼ぶに相応しい。皆で定めたルールではなく、ある特権階級に属す者たちが物事を決めていく世の中である。これが進めば特権階級以外からの異論は決して認められることはなく、下々の者たちはそれに唯々諾々と従うことしか選択肢はない。

 筆者はこれが一方的に全て悪いことであるとは言わない。それで世の中がうまく回っていた過去の時代、場所は存在するからだ。

 ただし、それは時の指導者が優れていたからであったという要因がものすごく大きい。ひとたび暗愚な指導者の手に渡ったときの国の運命は想像に難しくない。あなたの妻や夫、子どもや両親、恋人や友達の運命が、暗愚な指導者の「気まぐれ」によって決められていく可能性が飛躍的に高まるのが人治国家である。

 それのようなリスキーな国家運営をさせないために考えられてきたのが、現在まだかろうじて形を留めている法治国家である。紛いなりにも「皆で決めた」ルールの元で権力者の暴走を防ぐ目的で作られた国の枠組みである。

 法治国家であっても悪いところは数多くあるし、名ばかりな部分も多くあるのは事実だ。人治国家としていくことにも利点が全くないわけでもないだろう。ただそれを物陰から姑息なやり方で少しずつ覆していき、法治国家を標榜しながら実質は人治国家としていこうとする小賢しい姿勢にはとても賛成できないのである。