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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

短時間労働という企業文化を根付かせるには

 日本で長時間労働がはびこる背景を分析している記事は多いが、下記の記事はよく分析されていると思う。

toyokeizai.net

 ただ「労働時間は増加傾向にあり、このままでは十分な家事・育児時間を捻出できそうにない」とあるが、この事実は慎重に見ていく必要がある。「残業時間が多いことで評価されるという“空気”が醸成された」というのは少し不正確で、「残業時間」を「在社時間」と置き換えた方が良い。賃金(コスト)が伴う残業代が加算されることを望む経営者は多いはずはなく、できるだけ「低コスト」もしくは「残業代ゼロ」で、多く働いてもらった方が経営に取ってははるかに都合がいい。そのためには「よりタダ働きをした社員ほど、会社から評価される」という「空気」を醸成する必要があったとする視点があってもいい。これは本来、労働搾取であり経営者側の給与泥棒とも言える行為なのではないかと思う。

 最近いろいろな名称が登場しているが、ホワイトカラー・エグゼンプションなどの法案は断じて岩盤規制を緩和するためのものではなく、昔から行われてきた企業側による不法行為を合法化しようとする本末転倒な悪法案だ。例えるなら、これまでみんな赤信号でも横断歩道を渡ってきたのだから、これからは赤信号でも渡れるように法律を変えようと言っているようなものである。これでは事故や事件は減るはずもなく、増加の一途を辿ることは目に見えている。

 

 よく会社内でささやかれることとして「会社に残っているだけで仕事をせずに残業代をもらっている奴がいる」というのがある。確かにそういう不届き者がいないとは言わなし、筆者にもそういう「ただ残業代を稼ぐために残っている」としか考えられない者たちを見たことはある。ただ、そのような輩の割合をきちんと調べた調査結果を見かけたこともない。

 2割の人が残り8割の人の仕事を支えているという経験則的な格言もあるが、それも正式な調査結果があるわけではないので都市伝説に過ぎないものだ。おそらくほとんどの労働者は「仕事があるから」残業しているのであるし、本当にサボっている不届き者の割合は少ないと筆者はいままでしてきた仕事の経験上そう思う。忙しくしているのは確かに2割かもしれないが、残りの8割が決して全員がサボタージュをしているわけではなく、人目につくことの少ない雑務や目に見えない成果を出している仕事をしているケースも往々にしてあるのだ。

 仕事の種類によっては、何が「仕事」で、何が「休憩」で、何が「サボタージュ」かわからないものも多い。時間給で給与を支払うのに不向きな職種は多く存在するのは事実だが、だからといって人を「定額制使いたい放題」にするというのは筋が通らない。

 人生は時間が限られている以上、限られた時間枠の中で仕事時間を使うよう法律のフレームワークを組まなければ、そもそも人としての存在意義が壊されていくことにつながっていく。

 

 話が少し外れたが、上記に紹介した記事の中で登場する「ジョブディスクリプション」は、よく欧米系の企業で採用されているやり方だ。職務範囲が明確に定められているため、職務範囲に書かれていること以外の仕事は断ることができる。「契約の範疇外の仕事なので、私にはできません」という言葉はそう珍しくなく聞こえてくるものだ。また、日本企業のような全く業務経験のない部署への「異動」なども、本人が希望しない限り行われることもない。

 長所として行う職務の種類と範囲が明確化されているため、明らかに自分とは関係のない余計な仕事が降ってくることは少なくなるのは確かで、そうした意味において長時間労働を防ぐ手立てには一役買っていると思う。

 短所は自分の職務範囲しか見ないため、業務のグレーゾーンや部署を横断して仕事が発生する場合、それを担う人材がいない場合やできの悪い人が行ったりすると、互いに責任のなすりつけ合うという犬も食わない醜いイザコザが生じるはめになる。うまく取り仕切れる人が登場しないと、内輪モメで一向に仕事が進まないという場面も珍しくない。

 とはいえ、こうした短所は互いのグレーゾーンをフォローし合う日本企業でもよく聞く話なのではないだろうか。同様の短所がどうせ見られるというのであれば、ジョブディスクリプション制度を試験導入してみるというのも良い試みかもしれない。

 

 まずは労働時間を縛る法制度と企業内のルールの再作成の両面から行わないと、短時間労働という企業文化は醸成していかないと思う。決して「ワッショイ・ワッショイ」な企業風土からは人を人して扱っていく文化は生まれないのである。