仕事を見つめなおすなら「残業ゼロ」ではなく「定時出退社」、そして残業税の導入だ
新年、あけましておめでとうございます。正月に発行される新聞はなかなか面白く今回は、働き方を見つめ直すという特集記事が日経新聞に組まれていたので、目を通した。電子版は残念ながら会員向けにしか提供されていないが、筆者は新聞の方で内容を知った。
今後、働き方を変えなくてはならない事実はおそらく間違いない。長時間労働を前提とした働き方では本人だけでなく、その家族、果ては社会に大きな歪みを残していくことは、世間でこれだけ騒がれていることからもご存知の方も多いことだろう。
一方で、働き方自体を変えることは間違いないが、本来の向かうべきベクトルと真逆に向かおうとする流れがある。従業員の健康など全く気にもかけず、その家族がどうなろうと知ったことではない。例え社会に大きな傷を残そうとも、当期の利益さえ確保できれば良いという、所謂「ブラック」な関係者たちだ。その人たちにおいてもこの「仕事を見つめ直す」という機会はまたとないチャンスでもあることを忘れてはならない。
ブラックな関係者の思惑通りにことを進めさせないためには、常に流れの監視を怠らないことが一つ挙げられる。彼らが使う/好む言葉に注目するのである。例えば「残業ゼロ」という言葉はキーワードとして上げられるのではないだろうか。
「残業ゼロ」という言葉の裏には、純粋に「残存業務が存在しない」という意味と「残業代が発生しない」という、悪くすればほぼ反対の二つの意味で捉えることができてしまう。つまり「残業ゼロ」だけでは定義に曖昧さを残す言葉であり、残業「代」がゼロでも従業員は会社に残って仕事をしている可能性がある。こうした言葉は独り歩きした場合、とても危険性を孕む可能性がある。
このような場合、「定時出退社」とした方がどれだけ時間的に拘束されているかはっきりする。もっと厳密にやるなら「在社X時間」としてもいい。もちろん出退勤時間をごまかすブラックな企業もいるだろうが、少なくとも言葉に二重の意味を持たせることでの逃げ口上は与えない。
特集 人はなぜ、8時間働くのだろう | Trace [トレース]
上記の記事にはなぜ人は8時間働くかという、歴史的経緯が書かれていて興味深い。先人たちが、苦しい道のりで勝ち取ってきた「8時間労働」であることがよく理解できるだろう。
記事の後半には「今後は8時間に縛られない新しい働き方」に変化していくと述べられている。確かにそうかもしれないが、問題はこのままでは「8時間以上」の労働も「新しい働き方」の一つにカウントされてしまうことにあるのではないだろうか。忘れてはいけないのは、8時間という労働時間は、今までの歴史的経験、調査、研究結果から労働者の健康を維持するため勝ち取ってきた労働時間である。これ以上の労働時間を常態化させるというのは、一般的に健康維持を保証できない領域に入っていくということを先人たちの教えが囁く。
現在企業に勤務している日本人のほとんどは、1日8時間労働で終わることはないはずである。情けなくも筆者もその一員であることは否めないが、本当に健康維持できていると言えるのだろうか。皆が大丈夫そうだから自分も大丈夫という希薄な根拠は、この際見なおしたほうがいいのではないだろうか。
筆者が提案したいのは、「労働は8時間以下」という拘束を強めることである。労働者は6、7時間で仕事を終わらせ帰ることも自由であるが、8時間以上の労働時間に対しては罰則を強めていく。
法人税が今後軽減され、ホワイトカラーエグゼンプション法案などが検討中のようであるが、8時間以上の労働時間に対しては高率の税金を雇用側に導入するというのも、とてもいい案だと思う。
「仕事を見つめなおせ」という掛け声だけでは何も変わらない。ホワイトカラーエグゼンプションなどの労働者向けの法改正(悪)を行うのであれば、雇用者側にも何らかのペナルティを貸さなければ片手落ちと言わざるを得ない。筆者はホワイトカラーエグゼンプション法に反対であるが、どうしても導入したいというのであれば、労使双方への対策があってもいいのではないだろうか。本気で長時間労働をなくしたいのであれば、残業税ぐらいの導入は覚悟してもらいたいものである。