異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

自国礼賛番組は自意識過剰番組と同類である

 異国にいて日本人同士で話し合うと、よく今住んでいる国と比較した「お国自慢」がはじまる。それはそれで楽しいことだが、自慢のレベルがとても矮小に思えてしまうことがある。


 例えばサランラップ。異国のサランラップは猛烈に使いづらい。まず広げるとすぐにくっつくし、何よりギザギザした刃はついているが全く切れない。どんなに刃を指でしっかり抑えて切ろうとしても切れずにヨレる。挙句には専用の「ラップ切り用器具」まで売っている始末で、ちょっとギザギザ刃を改良すれば済むところがなされていない上に変える気もないらしい。またこの21世紀であっても電子レンジに対応されていないラップなど普通にあることに来た当初は驚いた。知らずに買って電子レンジに入れて溶かしたこともあった。今ではラップするときはハサミを併用して使っている。

 それに比べて日本のサランラップはすばらしいと思う。ヨレない、サクッと切れる、電子レンジにかけても問題ない。これは皆異口同音に言うことで、この話題は異国にいる日本人の間では必ずと言っていいほど盛り上がる。サランラップに限らず、日本製品は非常に出来がよく、現地の方たちにも評判とてもはいい。子どもの文房具などに至っては窃盗の対象になるほどである。

 

 だが、製品自慢以上に話題が発展することは少ない。「男女平等で先進国最低」という現実をどう考えるかなど聞いたこともない。現地の方が日本人に対し話題にするのは遠慮がある程度あるのかもしれないが、日本人同士の会話でもほとんどこうした問題に関する盛り上がりはない。筆者から切り出したこともあるが長続きはしない(もちろん筆者の言語能力や話術の未熟さによるところはあるが)。

 見たくない現実に対し、話が進まないことはある程度理解できなくもない。自国を礼賛することで悦に入る気分を味わいたいことも少しだけわかる。だが、記事でも指摘されているように「内輪褒め」による「空気」を作り出すことにより、外からの風を入れないバリアを作り出してはいないか。自分たちが今ある恥の現実を受け入れることに臆病になっていないか。そして「恥」は見なかったことにしようとしていないか。先の大戦での敗北を受け入れられない人たちがいるのと同じように。それはかつて来た道をまた辿っているとはいえないだろうか。

 異国にいる身にとってどれだけ日本で自国礼賛番組が放映されているかは知る由もないが、この記事が本当だとすれば日本社会が抱えている問題のバロメーターの一つになるだろう。きっと礼賛番組が増えれば増えるほど問題の根は深くなってきているということだ。

 愛国者というのがもし存在し、その条件を一つ上げるとすれば、それは間違いなく自国の「恥」を受け入れ、繰り返し反省し、それに対して改善できるよう真摯に取り組んでいる者だ。自分の長所だけを自慢するなら誰でもできることで、決して讃えられる類の事柄ではない。自国礼賛番組は日本人の自意識過剰を煽るだけで、人としての誇りを鼓舞するものではないと肝に銘じておきたい。