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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

日本の底力という幻想

 以前、米国に住んでいた時、中村修司氏の公演を聞いたことがある。


 日本の研究・開発環境をボロクソに批判していたのが印象的だった。それはもう口角泡を飛ばす勢いで、めった切りだった。日本では公正な評価が行われることはないので研究者や技術者で一人前になりたい人は一刻も早く日本を離れるべきだという趣旨を述べていたと思う。

 かなり過激な意見だと思うが、これはある一面は正しい。日本の研究者は雑用に追われて自分の研究に取り組めない者もいると聞く。役割分担が明確化している欧米の方がその点、自分の時間を持つことができることから研究に集中できるのだと思う。研究成果を上げやすい環境はどちらが上かと言われれば間違いなく後者だろう。

 ただ、筆者は欧米のやり方に部分的にしか賛成もできない。研究職にとってこのやり方は確かに良いのかもしれないが、他のところでは自分の役割範囲内でしか動けない/動かない人間が生まれやすいように思える。

 身近な例では原則欧米の学校で子どもたちは掃除をしなくていい。掃除はその役割の人がするからだ。その結果なのか、掃除をしても下手な人たちが多いように思う。自分の身辺もおざなりでは人として生きる力が欠如していることを意味するのではないか。役割分担を明確化することは大切だが、組織形態の全てにおいて適用してしまうと残念な結果が生じるのかもしれない。

 

 ノーベル賞の話に戻したい。以前、島津製作所に務める方がノーベル賞を受賞したことがあった。その時も日本の騒ぎようはすごかった記憶があるが、ある雑誌で「見たか!日本の底力」というような見出しを打っていた。なんだか違和感を持つ見出しである。

 日本だけで純粋に研究してノーベル賞を取得している人はその実、多くはない。ノーベル賞受賞者は米国などで研究成果を出している人が多い。中村氏に至っては米国籍を取得しているので「日本人取得者」とは言いがたい。「元」日本人研究者として紹介されているのだ。別にノーベル賞を受賞することは全てではないが、これから先、日本人として取得できる人はどれぐらいいるのであろうか。

 ノーベル賞受賞者を増やす試みや、イノベーションを活性化する施策がいろいろなところで行われているが、そもそもこうしたイノベーティブな発見や開発は「異端」から生じるしかなく、「異端」を排除する力学がただでさえ働く日本では非常に起きづらい。ましてや、ここ最近の教育改革やSTAP細胞の騒動を見るにつけ、さらに「異端」を排除する空気が醸成されているような気がしてならない。目先の利益や成果が出やすい研究ばかりが重要視され、それが見えにくい研究に対する評価はどんどん低下しているように見受けられる。おそらくこれからの受賞者は、日本国内での研究に勤しんでいる人たちからは出てこないのではないかと危惧してしまう。

 「見たか!日本の底力」は当時から幻想であるし、このまま進めばますます蜃気楼となるだろう。無駄金となるかもしれないが、もっとおおらかな視点で研究開発を見つめられないものだろうか。