異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

法律どおりを要求し、法律が変えられてしまう危険性について

人間として働かせない、そして法律を守らない企業にはこうした手段に訴えていくほかないだろう。ただし、こうした動きが盛んになればつぶしにかかってくる可能性も否定できないだろう。


ブラック企業から身を守るには自衛手段を常日頃から準備しておくことも大切だが、団体で訴えていくことも効果的だ。基本的な労働に関する法律の知識を知りながら、おかしいと思ったら周囲に相談できる環境を整えておけば、少なくとも心身まで潰されることは少なくなる。

ブラック企業にとっての痛手は世間にブラックの実態が知れ渡ることである。騒ぎが大きくなることを非常に嫌う。それは当然で企業体である限り、特に株式公開をしている会社では、違法行為をしている評判が立てば、投資家や顧客からお金が流れてこなくなる、ひいては減益につながるという事態はなんとしてでも避けたいはずだ。評判を落とすというのはそういうことだ。

そうした背景からブラック企業は違法状態で営業している実態はなんとしてでも隠す、認めようとしない姿勢を取ろうとする。死人に口なしで、団体で訴えられるより、過労死で一人の従業員が消えてくれたほうがもしかしたら都合がいいのかもしれない。遺族が訴え出ても金で黙らすという手段をとったほうが、評判を落とすより被害額が少なくて済むはずだからだ。(ワタミの過労死事件などは例外で、彼らには想定外だったはずである)

 

泣き寝入りせずに団体で訴えていくことは問題解決の手段としては効果のあるものだと思う。ブラック企業の見られたくない実態をさらけ出すことによって、改善を強いる動きにつながることは間違いないだろう。

ただし、気になる部分もある。上記記事から引用する。

厚生労働省認定の「若者応援企業」がじつは「ブラック企業」だった

これは何を意味するのか。どう好意的に見ても厚生労働省は「ブラック企業であったことが見抜けなかった」ということだ。悪意的に見るなら、「ブラック企業と知りつつも放置していた」と捉えることもできる。こうした認定されたブラック企業はほかにもないのか、そもそも認定基準に問題はないのか問いたいことは多くある。

現在の日本社会の流れとして、ブラック企業を問題とする支流たくさんがある一方で、ブラック企業をあたかも応援するような、本流ともいえる、大きな流れも存在するのではないか。

何度も消えては登場するホワイトカラーエグゼンプションなど労働基準法を緩和しようとする動き、ブラック企業の元経営者を政党の公認候補にする姿勢、過労死ラインの2倍と労働時間を「適正」とする経営者がどこかの会長に就任など、重要な決定事項が行われるところにはブラックな要素が暗躍している気がするのは筆者だけだろうか。

こうした状況を踏まえれば次に、団体で訴えられなくする方向へ傾いていくことは想像できないだろうか。問題は異なるが、先日あったデモ規制論議からもあり得ないことではないだろう。

不当な労働搾取をなくしていくことは大切なことだが、目の前の問題だけでなく、立法、行政といった見えにくい動きにも気を配らないと、こうした団体行動は根こそぎもっていかれる可能性を孕む。自分たちの取る行動がどういう結果を生み出していくのか、全体像を俯瞰しながら動いていればいいのだが、若い人たちだけに少し気がかりだ。