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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

日本のお家芸?「同時多発ツイート」

twitterには申し訳ないが、これを読んで思わず苦笑。

No One Tweets Like the Japanese, and That Was a Huge Problem for Twitter | Enterprise | WIRED

Everyone tweets at the New Year, but the Japanese are more in-sync,” “They do it at exactly midnight.” 

「明けましておめでとうございます」を午前零時ピッタリに行うのは日本人だけだという。そしてそのすさまじい同時多発ツイートはtwitterのシステムを全面的に落とした。ほかにも「天空の城 ラピュタ」が放映された時にも同時多発ツイート起きたようだ。おそらく滅びの言葉、「バルス」を叫んだタイミングに合わせたツイートのことだろう。

ここまで来るとある意味、国あげてのDDoS攻撃に近いものがある。しかもその同時多発の正確性は他に類を見ないようだ。これは国民総動員でサイバー攻撃手段を持つことによる、一つの「抑止力」を形成できるのではないだろうか。解釈改憲なんてわざわざ評判を下げることをする必要などなかったのですよ、首相。

このtwitterの事件に限らず、こうした一糸乱れぬ正確性に異国の人々は驚愕する。「Well organised」とよく言われるが、字面で表現するよりも驚きと好奇を持って語られることが多い。社会において時間や約束を守ることは一般的とされる日本だが、世界ではそうでない国も数多くある。この風習は日本社会にしっかり根付いたものであり、世界にあって誇ってもいいものであると思う。

ただし、同時にその正確性に拘泥する必要はないとも思う。どうしても定刻より遅れるのであれば、その理由をしっかり相手に納得してもらうよう説明できればいいだけの話である。過剰な正確性を求めるようになれば、それにつけこんでブラックな組織が跋扈するようになるのは言うまでもない。

一糸乱れぬと言えば、もうひとつの国を思い浮かべる。そう、それは北朝鮮。あのマスゲームの見事さはまさに一糸乱れぬという言葉が相応しいだろう。ただし日本と異なるのは、抑圧された背景あっての「一糸乱れぬ」である。日本にも当然社会的抑圧は存在するが、北朝鮮と相対的に見れば(今のところは)まだゆるい方であろう。抑圧が少なくても、一糸乱れぬ正確性を実現できるのだから、ある意味すごいことだと思う。

ただ、その反面こうも思う。抑圧を大きくすればさらに正確性を望めるのではないかと考える輩は必ずいる。この正確性をtwitterなどではなく、冒頭であげたように「脅威」として周囲に示したいと思う連中は存在する。こうした抑圧かつ恣意的な使われ方が一般化した時、その先に大きな過ちが行われると見て間違いない。

twitterには気の毒であったが、良くも悪くも日本らしさがよく現れている記事だと思った、夏の終わりの夜である。