異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

「仕事」という宗教、そしてそれを悪用するブラック企業

筆者の海外生活経験はこの方と比べるのがおこがましいほど貧弱なものであるが、それでもとても共感できる部分は多い。

オックスフォードが教えてくれた日本のブラック企業問題が世界から理解されない理由|日本の条理は世界の不条理!? 田島麻衣子|ダイヤモンド・オンライン

以前、勤め先の現地スタッフの同僚に、日本のブラック企業について説明を試みたことがあるが、意味をわかってもらえなかった。もちろん説明の仕方が悪かったのもあると思うが、そもそも理解の範疇を超え過ぎていて何を言っているのかわかっていないような雰囲気、そう、「おまえは何を言っているんだ」という顔をされた。そうか、これからは記事にあるように「Sweatshop」という表現を用いれば、多少なりとも日本のブラック企業のイメージを伝え易くすることができるかもしれない。

今現在でも筆者は現地スタッフに働き過ぎだと言われ続けているし、「そこまでして働く意味」を理解されていない場面は多々ある。筆者にとって「そこまでして働く意味」は合理的な理由はなく、既に体に叩き込まれてしまった普通の感覚であるが、彼らにとってはそれは「異質な行為」と映るのだ。「そんなに働いているのであればさぞかし給料もいいだろうな」と冗談とも皮肉とも取れることを言われたこともあるが、給与明細を見れば働いている割には大したことないのできっと驚くことだろう。

労働契約時間内を働き、それを過ぎたら退社するというのが彼らの生活スタイルとして、常識として、根付いている。もちろん一般的な従業員よりも多く働く方もいるが、その分多くの給与をもらっていることは容易に想像できる。でなければ不当な労働として、争議となっている。

日本人の我々からすると、契約上の労働のみで退社することは「彼らは働いてくれない」、「仕事を終えてから帰って欲しい」、「彼らの分まで仕事をカバーしなければならない」という想いが生じ、摩擦の火種を生みやすい。現にこれらの言葉をよく日本人スタッフから耳にする。筆者自身も英国に来た当初はよく口にした。ただし、それを現地スタッフに対して直接言ったことはないし聞いたこともない。それもそのはずで、仕事が回らないわけでもなく、彼らの労働契約上は特に何も問題がないからである。仕事のやり方やパフォーマンスに問題があるならば、上長に訴えることも可能であるが「長時間働いて欲しい」では理由にならない。よく日本人は働くとか、パフォーマンスが高いと頻繁に言われるが、ここから垣間見えるのは「長時間働く」からパフォーマンスがよく見えるという錯覚が随所にあると思う。

話は少しずれるが開店直前、閉店間際のスーパーやレストラン店などの動きを見ると日本と大きく異なっていて面白い。開店時には店側の準備を終えているのが日本の常識であるが、こちらでは準備をまだしているのは珍しくなく、店員さえ入っていない場合もある。こちらの開店時間は「店員が店に入る時間」となっているところもある。閉店も「店員が退社する時間」なので、閉店30分前から客は追い出され始める。「閉店間際に店の中にさえ入っていれば大丈夫」という技はここでは通用しない。

引用した記事にもあるように、彼らにとって「仕事をする」というのはあくまで人生の一部として認識している感じがするのは確かだ。日本人は反対に、仕事は人生の主要部分を占めるものだと言う認識が強い。「仕事だから」というマジックワードを唱えれば、あらゆるものが免除されることからもそれはわかる。宗教観が薄い日本人と言われているが何のことはない、「仕事教」という強力な宗教が現代日本では根付いている。

どちらの道が結果的に人生の満足度につながるのか筆者には正直言ってわからない。疑いなく宗教を信じきって全うする人生も古今東西見渡せばいくらでもある。それを良しとする社会もまたたくさんある。だが、その宗教観念を悪用するブラックな輩が横行している日本の社会において、見直さなければならない段階に来ているのは確かだと思う。