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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

その「ワッショイ、ワッショイ」がブラック化を促進する

会社も会社だが、この店長もいろいろな意味で終わってしまっているような気がしてならない。

ワタミ店長実名告発!「僕は目の前の焼き鳥が冷めていくのが耐えられない」:PRESIDENT Online - プレジデント

働くことに生きがいを持つのはその人の勝手だ。勝手に自分一人で頑張って働き、たくさんの報酬をもらえばいい。(もっとも日本社会では「報酬」で報いることは少なく、さらなる「責任(仕事)」を負わせることで報いる社会ではあるが・・・。)

問題は「働くことこそ生きがい」という空気を他者にも強いていることである。人にはそれぞれ働く事情があるのはごく普通のことだ。誰もが好んでその仕事をやっているとは限らないし、好きになる必要もない。会社から求められる成果さえ出していれば、仕事が好きだろうが嫌いだろうがとやかく言われる筋合いはないのだ。原理的にはそれが「働く」ということだ。

会社組織としては従業員に、できる限り安い給料で、多くの時間を働き、たくさんの成果を上げてもらいたいため、働くことに生きがい」を持つ空気を作り出そうとするのは、ある意味自然の行為と言えるのかもしれない。でも、従業員は全面的にその空気を吸い込む必要は全くない。「ほどほど」に受け入れ、あとは吐き出しておくことが寛容だと筆者は思う。反対に全面的にその空気を吸い込んでしまった従業員はこの記事にある店長のようになる。

「ブラックだ」なんて声は関係ない。

ブラックだということに「痛切な反省をしなければならない」と言っているそばから、「ブラックだなんて声は関係ない。」という反省も欠片も感じられない文が続く。おそらく、会社がブラックなことと、自分の行っている日常業務とに問題を分けていることが垣間見られる。だが、たとえ分けたとしてもブラックな会社に貢献していることに変わりはない。なぜブラックと呼ばれているかについては自己と会社を、そしてその関係性を省みないことには同じ過ちを繰り返していくだけだ。

会社に必要とされているかすらわからない週休2日の悠々自適の人生もいいでしょう。

休みのない仕事人生をおくるのは個人の勝手であるが、「週休2日の悠々自適の人生」と世間や他者を皮肉るのはいかがなものか。週休2日であっても悠々自適でない人生をおくる人も数多いるはずである。「日を多く出社する=仕事の成果が上がる」という時代錯誤な方程式は自分のおめでたい頭の中だけにして収めてほしい。

社会から必要とされるべく毎日懸命に働く人生にだって価値はある。

社会から必要とされるべく」とあるが、これには巧妙なトリックが施されている。これだけワタミの教理に染まっている人であるならば、「社会」でなく、本当は「会社」と書きたかったはずだ。だが、「会社」と書いてしまってはその「染まり具合」が露呈してしまうため、あえて「社会」としたのだろう。繰り返すが、「毎日懸命に働く人生にだって価値はある」と思うのはその個人の勝手である。だがそれを万人に一般化しようとする姿勢は、少なくとも筆者は到底受け入れられない。

こうした店長の下で働く従業員は不幸だと思う。なんでも「ワッショイ、ワッショイと笑い飛ば」されて、問題の本質を見えにくくされているのではないだろうか。問題を冷静に考える時間さえも与えられないのではないだろうか。もしかしたら不具の環境にあることさえ、気付いていない可能性も高い。

雇用される側の立場は弱い。それゆえ、少しでも抵抗手段を手にしておかねば、この店長のように「仕事こそ人生」という教理に感化されてしまう可能性は常に存在する。本当にそれを望むなら否定するつもりはない。ただ、人生は誰のものなのか、今一度考えてみてからでも遅くはないのではないか。