異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

コモンウェルス・ゲーム (Commonwealth Games)をご存知だろうか

ワールドカップが終わったというのに、ここのところBBCのスポーツ番組が騒がしい。4年に1回のコモンウェルス・ゲーム (Commonwealth Games)という大会がグラスゴーで開催されているからだ。日本ではほとんどニュースにもなっていない大会だと思う。

詳しくは上記のリンクを見ていただければわかると思うが、アジア大会の英国版といった趣きのスポーツ大会である。行われている種目もネットボールやクリケット、スカッシュなど、日本ではあまり見かけないものも含まれている。

普通に観戦してもなかなか興味深いが、筆者の関心を引いたのはこの大会の参加国である。英連邦に属している国や旧植民地の国より成り立っている大会だというのである。これにはちょっと驚きを覚えた。

たとえ話をしよう。日本が「旧植民地」の国々を集めて大会を開いたとしたら、どうなるであろうか?それらの国々を前にして日本語で開会式を宣言したらどのような反応を起こすだろうか?まずもって内外から認められない大会であることは容易に想像がつく。

どうして英国はこのような大会が開催できるのであろうか。過去に旧植民地国から恨まれることをやっていないはずはない。それでもスポーツの祭典に自ら参加してくる理由がよく理解できていない。今でも何らかのプレッシャーをかけ続けているのか、統治手腕が際立ってよかったのか・・・。しがらみは必ずあるはずだが、どのような形で吸収、そして緩和しているのかとても興味深い。少なくとも言えるのは、日本とその統治していた「旧植民地」の国々との関係などよりも、はるかに良好な関係を築き上げているように表面上は見える。

これだけではない。現在起きているパレスチナの悲惨を招いた遠因は英国の行った三枚舌外交にある。筆者はあの時期の歴史にあまり詳しくはないが、英国が何かしらの賠償を請求されたという記事は見かけたことがない。問題と責任の所在はなぜかうやむやにされている気がする。

英国は過去に比べて廃れたとはいえ、強国である。結局のところ現実は、強国のみがその剛腕を活し、好きなように責任をないがしろにできるのかもしれない。だが、例えば日本がその剛腕を近い将来手に入れ、世界に誇示できたとしてもどのように活用するつもりなのだろうか?知性の低いものが無用に強大な力を手に入れることは、さらなる悲劇を生むだけの愚行である。

たとえ、現実の国際政治において剛腕が物言う世界だとしても、そのようなフレームワークは少しずつでも取り除いていくべきだと思う。かつての強国たちが通った道で世界を歩むのではなく、力に訴えることを避けながら世界と渡り合う方法はどこかにあるはずなのだから。

 

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