日本国のブラック企業化、そしてグローバルカモへ
昔の自民党には良くも悪くもこういう人が存在した。
閣議決定は「暴挙」、野中広務氏が批判 集団的自衛権:朝日新聞デジタル
さまざまな背景を持つ人たちによって構成された玉石混交の集団であり、派閥によるしがらみや利害関係などによる悪影響は少なからずあったにせよ、それなりのバランス感覚を持つ人がそれなりのポストを占めていたように思える。むかつく輩が多かったのも事実であるが、人物背景をつぶさに見ていけば、その行動基準を全く理解できない人たちではなかった。筆者は昔の自民党に賛同する気は微塵もないが、少なくとも現在ある自民党の姿とは大幅に違った性格のものだった記憶している。
国民の審査を通さず、閣議決定によって憲法解釈を変更するプロセスというのは、どう贔屓目に見ても民主国家のやることではない。少数の人間の合意のもとで、国の根幹であり、そのあるべき姿をも記述した憲法を勝手に「解釈」することは明らかにおかしい。国の方向性を決めていく行事でありながら、国民の審査を通らずして決めていくということは、それはもう民主国家と呼べるものではなく、昨今の状況から鑑みると専制国家に限りなく近いものを感じる。現代的な別の見方をすれば、ある識者の言葉を借りると、国の「会社化」であると言える。
通常、会社では経営陣が決めたことに対し、末端社員が口を出すことは決して認めれていないし、求めれててもいない。従業員に「経営の視点をもって仕事しろ」という、意味不明でかつ甘えたアドバイスはあるかもしれないが、従業員が経営陣の決定事項に対し異論を唱えることは決して許されていないはずだ。あったら是非とも教えてほしい。
内部者でないので想像するしかないが、今の政府、および自民党内部は会社化しているのではないだろうか。首相を筆頭とした「CEO」の元、「役員会」での決定事項がそのまま国の方針として採用されていく。末端の「従業員」、すなわち国民の意思など、究極的には「どうでもいい」のである。限られた「役員」の間での取り決めが最重要であり、今後その役員も親族、友人といった「血統」を重視した採用方式となっていくであろう。
こうした政体を目指しているというなら、元ブラック企業経営者を自党に招き入れている事実も辻褄が合ってくる。ブラック企業のやり方を日本全国、国家規模でさらに広め、定着していきたいという意思があるのではないかという勘ぐりも可能になってくるのだ。ブラック企業の体質と現政権は浅からぬ関係があるのではないか。
上記のブログで、気になった一文がある。
自覚するしないを問わず、ブラック企業経営者と呼ばれる者たちに共通していることがわかった。皆、何事も自分に都合よく考える。物事を考える軸は、すべて”自分”である。さも、自分が世界の中心であるかのように考えている節がある。
これは現在の首相にも言えることではないだろうか。自分の妄信に忠実に従って行動する。例えどのような結果になろうとも。靖国参拝などはその最たるものだ。歴史認識に大幅な偏りがある問題人物であっても、NHKの経営委員や会長に据える。全ては自分の考えが世界の中心であって、ほかのことは「疎ましい」ことで聞きたくもない。自分の考えだけがうまく回るような社会構造にしたいという、狭量かつとても拙い知性がここから漏れ出てくる。
このまま「拙さ」が進行すれば、多様化し情報化も進む世界で、いずれ日本の「ボロ」は漏洩する。全然「クール」でなかったことがバレる。そして世界は当然それを「利用」しないで手をこまねいているはずはないのである。グローバルな「カモ」は今、ネギも背負おうとしているのだ。