異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

日本男児は自ら変わることはできないのか

さまざまな意味で違和感を持つ記事である。

男が変わった 日本生命、男性育休取得100%達成 :日本経済新聞

「男が変わった」という過去形表現はどこから創出されるのか。たかだか1週間程度の育児休暇が取れるようになったからといって、「変わった」と表現するのは少々頭がおめでたいのではないだろうか。「変わった」と言い切れるのは、現在の女性が担っている育児や家事をほぼ同等にこなせるようになってからでないとおかしいはずだ。すでにもう「男は育児を行なっているのだ!」ということを強調したいがためのプロパガンダなのだろうか?残念ながらひねくれた筆者はそう捉えてしまう。1週間程度では育児に「気づき」はあるかも知れないが、「習慣」に昇華させることまでできる男はいないに等しいはずだ。

日本生命は「2013年度に男性社員に育休を100%とらせる目標を立てた」らしい。政府も力を入れ、「女性の活躍を推進するため、20年までに男性の育休取得率を13%にする目標」を掲げているらしい。大変すばらしいことのように見受けられるが、筆者は素直に喜べない。反対側からこの問題を見つめると、会社に言われ、政府に後押しされないと育児休暇を取れない男社会が垣間見えるからだ。政府や会社がまた非人間的な「会社人間」経営への方針転換をした場合、素直にハイハイとそれに従う人間の輪郭が今からでも想像できてしまう。

上から言われて行動と習慣を変えていくことは、ある意味一つの手段であるかも知れない。それにより人々の意識が変わる契機となるならば、それでいいと見る人も多いかと思う。今までもそのやり方で来たし、これからもそういう形で変わっていくのかも知れない。自我よりも「上」があることを前提にした通念で。

筆者はこのような「上意下達」な社会は全く好まない。しかし、これからはそれが崩れていくか、もしくはさらに先鋭化するかの方向に向かうのだと思う。日本が世界からの羨望を集め、発展していきたいのであれば人材流入も避けられない。そしてその数が増えれば円滑な「上意下達」社会はまずもって実現不可能な、あらゆる摩擦の中で社会が進んでいくことになる。人はその摩擦の中で熟していくものだと筆者は考えるが、それに耐え切れない者たちが増えれば、社会が衰退することを知りながら、さらに先鋭化していく道も広がることだろう。

 

否定的に書いてきたが、少子化による問題が顕在化している段階になって、ようやく少しでも何かしら動き出したのは喜ばしいことなのかも知れない。個々の自我意識が社会上位層の意識に影響を与えていないとも言い切れない。記事の書き方には違和感を覚えるが、ここは少し譲って好意的に捉えておくべきだろうか。何もないよりはマシという程度で。