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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

ダンドリーチキンはマズイと思う

異国に身を置くとこれがものすごく肌身を持って実感できてしまうことがある意味悲しい。

“考えず、従う”姿勢が生む「国民総残業社会」――女性が疲れる社会ニッポンへの警鐘【前編】|永田公彦 パリ発・ニッポンに一言!|ダイヤモンド・オンライン

簡単に箇条書きにすると、

  • 「個人の権利」より「組織の義務」が優先
  • 「残業する」=「頑張っている」とする空気
  • 有給は「取らさせていただく」姿勢
  • 「ノー残業デー」がないと定時には帰らない
  • 「組織のルール」と「周囲の目」が規範
  • 根回しによる判断と決定
  • 細部まで拘ったプロジェクト、そしてダンドリーチキンへ

かなり悪意的に書いてしまったが、すべて悪いとは思わない。場面によっては組織の論理を優先しなければならないのはある意味理解できるし、個の権利を振りかざし過ぎては組織は瓦解する。一言で片付けてしまうとバランス感覚だと思うのだが、これが現代日本の仕事現場ではあまりにも偏っているから「ブラック」の温床となってしまうのだ。

ちなみに最後に書いた「ダンドリーチキン」とは、

日本にいた頃はプロジェクトを行うにあたり、これは自然のこととして受け入れていた。だが異国で働いていると、これには本当に辟易とさせられる。日本からはほとんど分刻みのプロジェクトスケジュールを求められることがあるが、こちらでは一週間単位のスケジュールすらままならないことすらある。そんなスケジュール感のズレがあるにも関わらず、分刻みのスケジュールを求められても出てくるはずがないのだ。

そもそも「スケジュールはズレるのが当たり前」ぐらいに考えている現地スタッフにどう書かせたらいいのか想像もつかない。日本側に何度となく説明しても、こちらの事情を飲み込んでもらえない現実が悲しい。しかし、悲しんでばかりいても話は進まない。鉄壁の「ダンドリーチキン」と認識がまるで異なる者同士の妥協点を見出すのが異国赴任者の仕事の一つでもあるのだ。

 

スケジュール/段取り通りに、動くことは大切なことであると思うが、それに固執するのはどうなのかと疑問が頭をよぎる。実現手段の細部にこだわるあまり、本筋がなおざりにされることなど日常的に起きている。少しでも気に入らない箇所があると長時間それに「反省」する時間を当てるのは阻害要因以外の何ものでもない。

前回会議の読み合わせなどを「会議の段取り」の一部として取り入れている会社もあると思うが、そんなのは議事録を各自が事前に読んでおけば済む話なのではないだろうか。なんというか段取りというより、「お作法」にまで格上げされている雰囲気があり、そうしたムダを省こうとする意志や疑問を持つことすら感じられない。

一例を上げただけでムダはほかにもたくさんあるが、こうしたムダの積み重ねが生産性に乏しい長時間労働に繋がっていくのだ。下記のリンクにも見られるように、本人はあくせく頑張っているつもりでも生産性としてみた場合、「頑張っている」だけで評価はされないのである。

残業しても評価変わらず…社員との認識にずれ (読売新聞) - Yahoo!ニュース

 

こうした商慣習を変えていくには、「外からの風」を取り入れることがやはり必要になってくるのではないか。本当の意味でのグローバル化とは、何も日本人が異国に出るだけではなく、異国からの人材を中に入れていくことでもある。これには賛否両論はあると思うが、自分たちの慣習にどっぷり使っている者に、「変えていく起爆剤」になれるとは到底思えない。

認識を変えていくには「現状を外部に晒す」のも一つの有効な手立てだ。これはどこかおかしいと疑問の声が上がることからすべては始まるのであるから。