異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

壁の中での自治では米国の基本理念にそぐわない

テレビは普段見ないので内容は詳しく知らない。が、似たような現象は米国で見たことがある。

“独立”する富裕層 - NHK クローズアップ現代

以前、米国に住んでいた地域は富裕層と貧困層が隣り合っているようなところであった。日本では少ないかも知れないが、米国は道路一つ隔てると雰囲気がガラっと変わるという、いろいろな意味でカルチャーショックを受けるところである。高級住宅街が続いていたかと思えば、一歩道路を渡ると立ち入り禁止区域紛いの治安の悪さだったりする。

こうした場所は少なくないため、富裕層は家族と財産を守るためにさまざまな施策を練り出す。その一つに「壁を作る」というものがあった。道路を隔てるだけでは治安を満足できなかったのだろう。高さ2〜3メートルのレンガ壁を道路沿いに設置し、治安が決していいとは言えない貧困層の地域と明確に分けていたのが印象的であった。

自分たちを「城壁」の中に隔離することで安全を保つという、なんとも中世的な発想と思えなくもないが、これがどれだけの効果があるのかは、壁の中に住んだことがないのでわからない。ただ、壁の外に住んでいる人たちにとっては少なくとも「接触を避けられている」ということは伝わるだろう。

自分と同質の者とだけ接触して生活していくというのは、ある意味、処世術の一つなのかも知れない。ただ、これが長期に渡った場合、歪は必ず生じる。壁外の人たちとの情報共有が少ないために、無用な誤解や軋轢が生じる場合もあるだろう。例え外部との軋轢がなくとも、内部で価値観の「純化」が行われる可能性もある。つまり壁の内部でさらなる「壁」が出来上がっていくのだ。これは物理的な壁だけでなく、心の壁なども含む。

 

自立心の旺盛な米国人なので、こうした「壁の中の自治」や「独立」は一見すると、米国人としての理念に忠実な行為に見えなくもない。だが、他方で異文化と交錯し合いながら、多様な価値観を生み、それを理解し合ってきた土壌にそぐわない行為でもあると思う。長い目で見るならば、階級や価値観の固定化をもたらし、ひいては多様な価値観を認めない硬直化した社会構造につながるのではないか。そして機会の平等は失われ、今でも遠くなりつつある「アメリカンドリーム」は本当に夢の彼方に消え去るのではないだろうか。

米国の良さは問題を抱えながらも多くの考え方触れ、自分の価値観を形成し、それを遠慮することなく表現できるところにある。その環境を軸とし、リスクを認識しながら夢を叶えようとする元気な人が多くいることにある。日本や英国には残念ながらこうした環境ではないし、リスクを取って何かを行う人も多くない。というか、こうした環境下にある米国のほうが珍しい国なのではないだろうか。それがなくなってしまった米国は単なる「普通の国」に成り下がってしまうことと同義なのである。