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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

会社の「茶器」を議論するのではなく、社会の「茶器」に目を向けよう

多くの人々の共通価値を作るには、巧妙にやれる人が必要である。

会社は何を「茶器」にするかで決まる。 - 拝徳

ここではもっともらしいことが書かれているが、「会社」などという狭い枠組みで行なっても、所詮は「会社とその周辺」の人々にしか受け入れられない共通価値だと思う。例えばワタミの元経営者が説法してまわる価値など、ワタミ内部と一部狂信的なワタミ信者にしかその価値は届かないのと同様に。

こうした狭い範囲でしか通用しない共通価値は、一見すると有用に見えるが、負の側面のほうが強いように思う。その狭い価値に拘泥するあまり、周囲が見わたせなくなる可能性があるからだ。その結果、所属していた組織の中では通用したかも知れないが、一歩外に出れば視野狭窄な人間としてしか扱われなくなる。

もちろん、自分の中で「狭い共通価値」を咀嚼し、世間でも通用する活きたキャリアに繋げられる人もいる。しかし、どの人間も皆それほど強く生きられるわけではない。どちらかというと、その価値のみに拘泥し、視野狭窄になり、嫉妬や諦観の落とし穴に陥るケースのほうが多いのではなかろうか。

茶器を共通価値として多くの人に伝播できたのは、織田信長という強烈な個性を持つ人間によるところが大きいと思う。彼だからこそ自分や既存の枠組みだけにとらわれず、日本全国に共通価値を、多少無茶があったにせよ、広げることができたのだろう。そうした共通価値のニーズと本質を見抜き、社会価値基準にまで昇華できる人間が存在し、はじめて効力のある「共通価値」になるのだと思う。残念ながら現代の会社レベルの組織単位では、せいぜい「なんとかメソッド」というハウツー本が書店に並び、一過性のブームで終わる程度のものだろう。

閑話休題。

今の日本でこうした共通価値基盤としてもっと栄えてほしいものの一つに寄附がある。お金が有るところから徴収するというのは一つの考え方ではあるが、「お金が有るところは寄付がしたくなる」という共通価値を創造するのも一つの方法だと思う。

しかしその道はなかなか険しいのは間違いない。まず、多額の身銭を切ることに躊躇のない、社会的影響力の極めて強い人が率先して行わないことにはなかなか根付かないだろう。一過性のブームで終わらせないためには、後代の富裕層も継続して行い、かつ寄付を行った人の虚栄心を満足させる仕組みも必要だ。寄付に伴う税制整備ももっと充実させる必要があるだろう。

結局のところ、そうした共通価値基準を日常社会に溶けこませるには強力な発起人と、それを巧妙に長く継続できる知恵と時間が必要なのだ。

現代社会はひたすら資産形成や消費に高い共通価値が置かれているが、ヒーローを待たずとも、それを違和感なく社会還元する価値にシフトする方法はないものだろうか。