異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

コーディングの先にあるもの

とてもいい試みだと思う。

プログラミングを学ぶ人たち―児童から企業幹部まで - WSJ.com

コーディングは慣れてくると楽しいし、論理的な思考方法を必要とするので頭の体操にもなる。時を忘れて熱中できるので、趣味としての側面も忘れてはならない。人間が使う言語と比べて歴史が浅い割にはなかなか奥が深いのも面白い。さらに真剣に取り組もうとすると使い勝手の向上だけでなく、ハードウェアの側面も考慮に入れた構築が必要となってくる。

企業や組織での利用となれば、サービス間の連携するためのAPIを使ったり、ファイル受け渡しなども必要となる。大規模になればなるほどこの傾向は強くなり、複数サービス間のインターフェースをいかに効率よく接続していくかが要となっていく。

さらにグローバルで多企業間接続ともなれば、システムの接続だけでなく、人間(開発者)どうしの連携不足が致命的な不具合を引き起こしかねない。ただでさえ、(人間が使用する)言語や文化の壁が存在するので、それをできる限り低くし、互いの認識合わせを何度も取り交わす。電話、email、ミーティング(電話、ビデオ、直接合う)は互いが満足するまで行い、表や図、ホワイトボードへの手描きなども進捗状況に応じて多く作成する。特に図を多用することは大切で、「百聞は一見に如かず」とはよく言ったものだ。英語でいくら説明してもわかってもらえないところも、図であればスムーズに通じ合える経験は何度もした。

こうなってくるとコンピュータに手順を明記するコーディングが随分と懐かしく感じてきてしまう。一つの作業を行うのに多くの労力を必要とする面は否めないが、いくつもの文化障壁を乗り越えながら連携し、開発を行う状況はある意味なかなか経験できることではなく、非常に興味深いものである。

閑話休題。

 コーディング技術を学ぶことはとても喜ばしいことであるが、できればそこで終わってほしくない(もちろんコーディング技術を深堀することを否定しているわけではない)。現在のIT社会において、自分が欲しいと思うツールの多くはインターネットを検索すれば出てくると思う。つまり「車輪の再発明」を学習や趣味以外の場面であえてする必要はないと思うのである。目的とすることをツールの組み合わせで効率的に行う技術も必要である。そして開発を必要とする箇所にリソースを重点投入するほうが、時間を無駄にせずに済むことが多いのだ。

自分で作ることも大切だが、他者の作ったものを使わせてもらう能力も大切である。さらに他者の作ったものを改善できるのであればもっといい。コーティングは、そのためのはじめの一歩でありその先に広がるシステムの世界にも目を向けて欲しいと思う今日この頃である。